バビロニアの中心都市バビロン。
そこは、『旧約聖書』に代表される都市として現代でも有名です。
メソポタミア文明と言えばバビロニア!
と言えるほど、
- 古バビロニア
- 中期バビロニア
- 新バビロニア
とバビロニアは時代区分されています。
そんなバビロニアの歴史の始まりである「古バビロニア」が、最終的に誰によって滅ぼされたのか…?
古バビロニアとは?
バビロニアの範囲は、現代のイラク南部のチグリス川・ユーフラテス川あたり一帯でした。
水があれば作物が育ちやすいので、2つの運河が近くにある地域ってのは、文明が発展し易いんでしょうね。
シュメールについての記事で、
バビロニアはシュメール地方を支配し、シュメールでは農業が盛んだった。
と書きました。
そんなシュメールの記事が気になる方は、
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農耕が発達していたシュメールをバビロニアは支配したので、当然バビロニアでも農耕が発達したんですね。
農業と農耕の違いは、本当にちょっとした違いなのですが、
「農業は牧畜を含むが農耕は牧畜を含まない(by 農耕)」
だそうです。
また、中東の広い範囲で交易ネットワークも持ち、文字も使用していました。
古バビロニア滅亡までの歴史
ここからは、古バビロニア成立の歴史から滅亡するまでを簡単にまとめてみました。
果たして、古バビロニアを滅ぼしたのはどこの民族だったのでしょうか?
古バビロニアの始まり
ウル王朝と呼ばれる都市国家の滅亡からバビロン第1王朝の滅亡までの時代を「古バビロニア時代」と言います。
ウル王朝が滅亡した後、アムル人と呼ばれる人々が
この地域で、1番になったるでぇ!
とメソポタミア全域で多くの王朝を立ち上げました。
そのアムル人の中でもひときわ権力を持っていたのが、イシンとラルサという二大都市です。
この二大都市が、権力争いを繰り返します。
その間に着々と勢力を伸ばしてきたのがバビロンです。
このイシン・ラルサ時代の初め頃までは、バビロンも一地方都市に過ぎませんでした。
しかし、ハンムラビという王が即位してから、
我がバビロンを有名都市にしよう
と言って変化して行きます。
と言っても、彼が即位したての頃はまだ無名の都市でしたけどね。
ハンムラビ王の時代
ハンムラビは即位時に、北部のメソポタミアで権力を振るっていた王権の支配下にありました。
その名前は、シャムシ・アダド1世。
かなり巨大な力を持っていた君主で、彼の死後の年の名前は
シャムシ・アダド1世が死んだ年
と名付けられたほどでした。
さらに、
これほど強力な力を持つ王は他にいない
とまで言われていました。
そんな彼が死んでからは、戦国時代の始まりです。
長期的な戦いの中で、
よっしゃ、バビロンが1番になったぞ!
と頂点へ昇りつめたのがハンムラビでした。
彼は歴史の教科書に、必ずと言っていいほど出て来る有名人です。
なぜなら、彼はあの「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典を作らせたからです。
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ヒッタイト王の侵略
ハンムラビの死後、バビロン第1王朝の王たちは反乱と外敵の侵入に対して長く対処しなくてはいけませんでした。
この王朝の崩壊は、時代が進むにつれて何故か具体的な状況を把握するのが難しくなっていきます。
弱体化していたバビロン第1王朝は最後の王の時、いきなりバビロニアへ馬で遠乗りして来たヒッタイトの王に攻撃されます。
そして、それがきっかけで滅亡してしまうのです。
このヒッタイトの遠征が行われた理由はよく分かっていません。
また、バビロン市を破壊して戦利品を獲得した後、ヒッタイトの王は
よし、引き上げるぞ!
とバビロンを占領することなく引き上げています。
ヒッタイト人が残した記録でも、彼らがバビロニアまでも含む巨大な王国を構築しようとした痕跡はなく、バビロニア人もまた、簡潔な記録しか残していません。
このバビロン第1王朝の滅亡は、未だに多くの謎を秘めているのです。
滅ぼした民族はどこ?
ここからややこしい話になります。
このヒッタイト人によるバビロン占領は一時的なものであったため、王のいない空白状態のバビロニアは
へへ、俺たちがバビロンを支配してやるぜ!
とカッシート人の支配するところとなりました。
つまり、バビロン第1王朝を倒したのはヒッタイト人だけれど、その後400年間支配したのはカッシート人だったのです。
なので、古バビロニア王国を滅ぼした民族の答えとして正しいのは、
ヒッタイト人
となります。
ヒッタイトもメソポタミア文明の中では有名な都市国家です。
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その後、バビロニアは「中期バビロニア」時代を迎えますが、この時代は歴史的にもあまり目立った時代ではありませんでした。
そして、最後の新バビロニア時代が始まるのです。
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他にもメソポタミア文明には、まだまだ数多くの歴史があります。
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