バビロン捕囚(ほしゅう)とは、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により南ユダ王国のユダヤ人たちをバビロニア地方へ捕虜として連行し、移住させた事件のことです。
南ユダ王国?正直、イスラエルの歴史よくわかんない…
という方はバビロン捕囚を行うまでの古代イスラエルの歴史をまとめた記事があるので、
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古代オリエント(現在の中東やエジプト)社会では、こういった強制移住はよく見られました。
バビロン捕囚は何もユダヤ人だけではなく、
- ペルシア人
- エジプト人
- ギリシア人
なども集められていたようです。
それでは、なぜこのような強制移住政策が行われたのでしょうか?
バビロン捕囚の簡単なあらすじ
南ユダ王国の首都はエルサレムでした。
新バビロニアの王ネブカドネザル2世はそのエルサレムの地を征服しました。
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そして、生き残った人々をバビロンに強制移住させ捕虜にしました。
実はこのバビロン捕囚、1回だけでなく3回も行われています。
さらに、島流しにあったユダヤ人たちはその後に、アケメネス朝ペルシアの初代王キュロス2世によって解放されるのです。
ちなみに、キュロス2世は宗教に寛容だったので、
エルサレムで神殿を建て直して良いよ
とユダヤ人たちにエルサレム神殿の再建を許しました。
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楽観視していたバビロン捕囚
ユダヤ人の捕虜とされた人々の大半は、かつてアッシリア人の要塞があったバビロニアの地域に移住させられました。
新バビロニアによる戦いによって、地は荒れ果て人々の影は少なかったのでしょう。
人口を補うためにその土地にユダヤ人を移住させた
と考えられています。
一方で、職人などはバビロン市に移住させられました。
新バビロニアの王ネブカドネザル2世が熱心に行っていた建設事業に携わせるためです。
まぁ、バビロニアの強制移住は一時的なもんだろ
最初の内はユダヤ人たちもこのように思っていたようです。
この時代は王国が起こっては滅びての時代でしたからね。
どうせ新バビロニアもすぐ滅亡するっしょ
と思いすぐに母国へ帰れると楽観視していたのです。
しかし、ユダヤ人のエレミヤとエゼキエルという預言者たちはそう考えてはいませんでした。
エルサレムの神殿の破壊が近いがね!
と彼らは何度も警告を与えていたそうです。
一方、そんな警告も虚しく
大丈夫っしょ~♪
と他の救いの預言者と呼ばれた人たちは楽観論をあちこちに言いふらしました。
結果として、ユダヤの民は滅びの預言に耳を傾けることはなかったのです。
しかし、2回目のバビロン捕囚の時。
なんと本当にエルサレム神殿が破壊されてしまいます。
えっ?!本当に壊されちゃったよ…。こりゃ状況を楽観視してる場合じゃねぇ
とこれをきっかけに、捕囚されたユダヤ人たちの目が覚めるのです。
バビロニア文化に影響を受ける
すぐ母国に帰れる
というユダヤ人の夢。
その夢はいとも簡単に破れてしまいました。
そして、長期に渡ってバビロニアに住むことになったユダヤ人たちはバビロニア文化の影響をもろ受けます。
そのバビロニア文化の影響をまとめてみると、
- ユダヤの民からバビロニア風の名前を持つ者が現れる
- ユダヤ月名からバビロニア月名への採用
- へブル文字からアラム文字への変更
- 文学にもバビロニア文学の影響
というような影響が見られるようになって行きました。
ついに「ユダヤ教」が生まれる
ユダヤ人たちにとって、バビロニアの社会や宗教は圧倒的でした。
我々ユダヤ人としての民族のあり方って何だろう?
とそこで考えさせられたのです。
色々と思い悩み葛藤したのでしょう。
そういった思い悩みが彼らの宗教的な繋がりを強めました。
その証拠にユダヤ人にとってエルサレムの神殿は大きな存在でした。
神殿を失った後、心の拠り所を「律法」とするようになります。
この時から神殿だけでなく、律法を重んじる宗教としての「ユダヤ教」が誕生するのです。
ヤハウェ(神)とは何か?
この時期には神についても考え直し、
ユダヤ民族の神である
とヤハウェを考えていたのですが、
ヤハウェはこの世界を創造した唯一の神だ!
とこの時から理解するようになっていきました。
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バビロニア神話の世界観を見たからでしょうか。
ユダヤ人たちはバビロニアに対してかなり対抗意識があったようですね。
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こういったユダヤ人による宗教への意識は、その後のローマ帝国以降でも残ります。
つまり、イスラエル民族としてのアイデンティティはバビロン捕囚をきっかけに確立され、その後も失われなかったのです。
バビロン捕囚はメソポタミア文明とイスラエル王国の歴史どちらにも影響を与えた重要な出来事です。
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参考:『バビロン捕囚』