よく歴史に「太陰暦」と「太陽暦」が出て来ますよね。
何なの、この太陰暦とか太陽暦って?
と疑問に思った事はないでしょうか?
この記事では、太陰暦と太陽暦の暦の意味や違いについて詳しく説明しました。
太陰暦とは?
月の満ち欠けの周期を基にした暦です。
太陰=(天体の)月
を意味します。
閏月などを入れて季節のずれを調整する暦は、「太陰太陽暦」と言います。
この暦について、さらに詳しく知りたい方は
太陰太陽暦とは?どういうものか特徴を簡単に解説してみた!
「太陰太陽暦」ってよく歴史の教科書で見かけるけど、この意味はよく分かってないんだよねぇ、と思ったことありませんか?暦(こよみ)の意味や歴史について、ホントよく分からない!という方には必見の記事ですよ。
こちらの記事を参考にしてみて下さい。
季節のずれを無視した暦は「純粋太陰暦」と呼ばれています。
この純粋太陰暦をイスラム圏では、イスラム暦(ヒジュラ暦)として未だに採用しています。
太陰暦の計算方法
太陰暦を使うと、29日と30日の月がそれぞれ1年で6回ずつあるので、1年が約354日となってしまいます。
こうすると1年に僅かな誤差が出るので、3年に1度1年を355日とする必要があります。
太陰太陽暦では、この1年が355日となる年が閏年(うるうどし)です。
一方、ヒジュラ暦では30年間に11回の閏年があります。
太陰暦を現代の暦である太陽暦と比べると、
太陽暦(364日 / 年)ー太陰暦(354日 / 年)=約11日短い
となります。
これが3年過ぎると、約1ヵ月以上のずれとなります。
この誤差により、同じ日付であってもどんどんと季節はずれて行きます。
そして、およそ33年で元の季節に戻ることが出来るのです。
イスラム教で行われているラマダーン(断食)の季節が、毎年違っているのはこの太陰暦のずれのせいです。
ここで太陰暦と太陽暦をまとめると、
- 太陰暦:同じ月日であれば月の形はほぼ同じ
- 太陽暦:同じ月日であれば季節はほぼ同じ
となります。
太陰暦の月の呼び名
人類が季節を知るための手がかりとしたもの。
それは、空の星と言われています。
月の満ち欠けは日にちを数える手がかりとなり、太陰暦が作られたきっかけとなりました。
- 朔(さく):空の月が一番欠けた状態
- 望(ぼう):そこから約15日経つと満月
- 朔(さく):また約15日経って戻って来る
この約30日間を1ヵ月として、これを12回繰り返して1年となります。
「朔」から「朔」へ戻る周期を「朔望月」と言います。
朔望月は月末なので、29日か30日のどちらかになります。
- 30日:大の月
- 29日:小の月
と呼ばれています。
太陰暦では、季節がずれていくものです。
このずれを防ぐために、1年を13ヵ月にする方法をよく採用して暦を遅らせたのです。
12ヵ月の他に挿入された月は、「閏月」と呼ばれました。
天体観測によるずれの修正
暦と季節のずれを修正するには、空の月以外を見る天体観測を行わなければいけませんでした。
ずれの修正は太陽や星の位置により行われ、季節を知るには自分が住む場所で見る星の位置や見える時期を手がかりにし、
今の季節って何だろう?
と考え判断したのです。
さらに、夏の沈まぬ太陽や冬のすぐ来る夜の暗闇による違いから、
季節が変わってる?
と長い年月をかけて夏と冬の違いに気付いて行き、
- 夏至(げし)
- 冬至(とうじ)
とその後に呼ばれます。
そして、昼と夜の時間が同じくらいの時期は
- 春分(しゅんぶん)
- 秋分(しゅうぶん)
と呼びました。
太陽暦とは?
地球が太陽の周りを回る周期を基にして作られた暦です。
太陽暦は現代の暦にも採用されているくらいなので、
などの暦法も太陽暦の1種なのです。
1年をを単純に365日とすると、4年でほぼ1日のずれが生まれ、このずれを補うために閏日があります。
ユリウス暦への切替え
古代エジプトから、太陽暦は使われ始めました。
そして、ローマ共和国(ローマ帝国の前身)では、太陰太陽暦であるローマ暦の代わりに太陽暦を導入しました。
古代ローマの暦は初め結構適当に1年を数えていましたが、だんだんと政治的目的で日にちや閏月をわざと繰り返し足して行きました。
その結果、ユリウス・カエサルがローマで実権を握った時には、なんと暦が実際の季節から3ヵ月もずれていたのです。
カエサルは、この事態に悩みます。
ちょ、誰かに相談しよ。そや、天文学者なら解決策知ってるやろ!
そして、天文学者のソシゲネスの意見に従って、この年の日数をなんと445日まで引き伸ばします。
この時、太陰太陽暦から太陽暦に移行したのです。
その時に、導入したカエサルの名にちなんで、ユリウス暦と呼ばれています。
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ユリウス暦の特徴としては、
- 1年は365日
- 4年に1度の2月が閏日
と現代とほぼ変わりません。
グレゴリオ暦への移行
その後、キリスト教でもユリウス暦を採用することになりました。
しかし、新約聖書に記されたイエス・キリストの復活の日付は、ユダヤ暦を基準にしています。
このため、キリスト教の最も重要なイースター(復活祭)を祝うためには、ユリウス暦だけでは十分ではありませんでした。
そこで、ユダヤ暦の基である太陰太陽暦の要素も考慮して、復活祭の日付を算出しました。
つまり、宗教面で太陽暦と太陰太陽暦の二重構造になっているのです。
このグレゴリオ暦は、ローマ教皇グレゴリウス13世により制定されました。
そして、それが世界中に広まったのです。
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こうして、ヨーロッパではユダヤ暦を除き太陽暦が広く使われていきました。
日本での太陽暦の歴史
日本では、明治の初め頃まで太陰太陽暦(天保暦)が使われていました。
その後、太陽暦であるグレゴリオ暦を導入しました。
しかし、戦国時代の末頃から密かに太陽暦は使われていました。
事実、江戸時代の本多利明(ほんだとしあき)は太陽暦の便利さを説いています。
さらに、山片蟠桃(やまがたばんとう)は太陽暦の見本を作りました。
蘭学医の大槻玄沢(おおつきげんたく)は、オランダ正月を開催しています。
オランダ正月とは、オランダ人たちや江戸の蘭学者たちによって行われた太陽暦(グレゴリオ暦)による正月元日を祝う宴です。
太陽暦の活用自体は遅いものの、結構古くから太陽暦は知られていたのですね。
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暦と季節のずれを修正するのに、昔の人々はどれだけ長い年月をかけたのでしょう。
そんな蓄積された時の歴史が、今の私たちが使用している暦に繋がっているのです。
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