殷(いん)は、中国最古の王朝です。商(しょう)などとも呼ばれます。紀元前11世紀に周によって滅ぼされました。
殷についての研究は、漢字の由来とされる甲骨文字の発見によって本格的に始まりました。今までは『史記』にあった殷の存在だけか信じられていましたが、中国最古の文字の発見により現実味を帯びたのです。
「殷」の始まり
殷の創始者は、伝説上「契(せつ)」とされています。契は、彼の母親が水浴びをしている時、ツバメの卵を食べたために生まれたとされています。
彼は、夏王朝の創始者である禹(う)の川工事を助けました。この業績は、五帝(理想の君主)の一人とされる帝の舜(しゅん)に評価され、
そなたに「子」という姓と官職を与えよう。さらに、商の地も与えよう。
と言われます。
ツバメの卵伝説のある男の人生は、出世街道まっしぐらだったのですね!
その後、契の子孫は代々夏王朝に仕えました。夏王朝についてさらに詳しく知りたい方は、
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殷の易姓革命
夏の最後の帝である桀(けつ)の時代は、ひどく乱れていました。なぜなら、地球規模の気候変動があったり、桀自身が乱暴な政治を行ったりしていたからです。
これに対して、殷の13代目王である天乙(てんいつ)は、
こんな世は許さんぞ…!この悪の政治に終止符を打ってやる!!
と伊尹(いいん)という賢い政治家の助けを借りて反乱を起こし、夏を滅ぼしたのです。
その戦いは、かなり激しかったようです。手足を刃物で切断されたり、顔が陥没していたり。そういった遺骨や殷の青銅器の武器が、数多く出土しました。
殷の歴代の流れ
こうして、夏を倒した天乙は後に王となり亳(はく)に殷の都を置きました。ここから王朝は衰えたり復興したりの繰り返しです。そんな興衰(こうすい)の後に、愚かな暴君が続きます。
そして、最後の王朝である紂王(ちゅうおう)の時代に、ついに殷王朝は滅ぶのです。彼は即位後、悪女と名高い妃の妲己(だっき)を溺愛して、暴君らしい乱暴な政治を行っていました。
このため、周の武王(ぶおう)に殺されてしまい、殷はあっけなく幕を閉じてしまったのです。周の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、
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他にも、殷王朝が滅んだ背景にはこんな話があります。殷は占いによる政治行っていた為に、多くの神への生贄を必要としました。
2012年までに、少なくとも1万4,000体もの人骨が生贄のために犠牲となって発掘されています。そういった生贄は、戦争捕虜だったりしました。他の部族たちは、
こんなの、恐怖政治の何物でもないよ!
と殷に対して反感を抱きます。そして、周などを含めた東西南北の8つの従属国家が、密かに連絡を取り合い、紂王が東夷の征伐に乗り出した隙に、属国同士が連携して反乱を起こし殷王朝を滅亡させたのです。
殷の王位継承
『史記』を記した司馬遷は、漢の時代の制度を当てはめて、殷の王位継承を親子や兄弟相続と考えていました。なぜなら、漢の時代では、複数の氏族で君主の権力をシェアする事など考えられなかったからです。
しかし、これも甲骨文字の解読により、実子相続ではなく非世襲であったことが分かりました。殷は氏族共同体の連合体で、王室は2つ以上の王族(氏族)から成り立っていたと現在では考えられています。
仮説になりますが、殷王室は10氏族から成り立っていたと考えられています。主に4つの氏族の間で、定期的に王を交替していました。
一方、それ以外の6つの氏族は臨時の中継ぎの王を出したり、王妃を娶っていたようです。
これに関連して、殷の王族は当時太陽の末裔と考えられていました。『山海経(せんがいきょう)』には、10個の太陽の神話があります。
これ、太陽の末裔とされた殷王朝の10の氏族とかぶりません?
この神話の中で、羿(ゲイ)により9個の太陽が射落とされるのです。これは、
1つの氏族の権力集中を反映したのでは?
という解釈もあるみたいです。
殷の滅亡した後
紂王(ちゅうおう)の子供武庚(ぶこう)は、周の武王に殷の土地を与えられます。武王の死後、武庚は武王の3兄弟と共に反乱を起こしました。しかし、これは失敗に終わり彼は殺されてしまいます。
その後、紂王の兄に宋の土地が与えられました。しかし、彼には跡継ぎがいなかったため、別の紂王の兄がそれを引き継ぎました。この宋を引き継いだ兄の子孫が、実は孔子とされています。
本当かどうか分かりませんが、もしそれが本当であれば、孔子の家系は世界最長の家系ですよね。
他にも、紂王の叔父箕子(きし)は朝鮮に渡ったとされています。そして、そこで「箕子朝鮮」を建国したと中国では言われています。
一方、韓国では檀君(だんくん)による「檀君朝鮮(だんくんちょうせん)」こそが初の朝鮮王朝であり、箕子朝鮮は単なる作り話だとしています。
箕子朝鮮を認めてしまうと、中国人によって朝鮮が建国されたことになりますもんね。
殷は、商とも呼ばれると言いましたね。殷が滅亡した後、商(殷)人が仕事として店を持たず、各地を渡り歩き物を売っていました。それを見た人たちは、
あれは商の人間だぁ
と呼びました。それが由来で、「商人」という言葉が生まれたのです。
他にも、商には「賞」の意味があり、
意外な言葉が、実は中国最古の王朝「殷」と繋がっていたのにはビックリですよね。そんな殷から中国の歴史は始まって行くのです。
参考:殷