世界史をやっていると必ず出てくるのが「ペルシア戦争」です。
このペルシア戦争のそもそもの原因について、知らない人も多いのではないでしょうか?
ペルシア戦争はペルシア軍とギリシア連合体との戦いです。
一度だけの戦いではなく、いくつもあるペルシア軍とギリシア軍との戦いをまとめた名称が「ペルシア戦争」なのです。
この戦争については、ほとんどがヘロドトスの『歴史』の情報を頼りにしているので、
ヘロドトスの主観が入ってペルシア戦争を歪めてしまっている
という批判もあるほどです。
そんなペルシア戦争についてざっくりとまとめてみました!
ペルシアへ危機感
ギリシアのアテナイは交易によりだんだんと有力なポリス(都市国家)になって行きました。
また、人口増加により穀物輸入もするようになりましたが、
- その輸入経路で海賊がいた
- 周りのポリスと関係が悪かった
といった理由で交易はなかなか簡単には行きませんでした。
さらに、政治体制も貴族政から直接民主制になったことで、アテナイはライバルであるスパルタに対抗できる強力な都市国家へと成長することに成功します。
しかし、それがスパルタと同盟都市国家に対して警戒心を抱かせる原因ともなります。
それだけではありません。
北部のポリスとも戦争状態であったりと、アテナイの周りは敵ばかりだったのです。
この孤立状態はいかんと思ったのでしょう。
アテナイからアケメネス朝ペルシアへ使者を送りました。
どうか、アテナイと同盟を組んで下さい!
と使者はアケメネス朝ペルシアとの同盟関係を求めました。
しかし、相手はアテナイへ完全な服従を求めました。
これはいかんでしょ!
とアテナイの民会はこれに反発して同盟交渉は決裂します。
しかし、完全服従を受け入れなくとも、アテナイはアケメネス朝ペルシアに対して大きな危機感を募らせていました。
当時のアケメネス朝ペルシアは、各都市国家に操り人形である僭主(せんしゅ)を就かせ、彼らを通して内政に干渉していました。
僭主って何やねん?
と思った方はこちらの記事を先に読みましょう。
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この僭主政治、アテナイには通用しない政治手口でした。
俺たちにリーダーなんて要らない。市民たちが政治を支えるんだ!
という直接民主制を取っていたからです。
そんなアテナイでも、アケメネス朝ペルシアには別の危機感を感じていました。
僭主政治での影響はないにしても、穀物輸入の交易路にペルシアの影響が及ぶかもしれないよね…。
という不安があったのです。
そして、その危機感は見事的中してしまいます。
イオニアの反乱
ペルシア戦争の直接の原因は、アケメネス朝ペルシアの従属国であったイオニア地方の反乱です。
そこにアテナイが介入したのが大きなきっかけとなりました。
僕たちも同じイオニア方言を話すギリシア人!だからこそ助けるよ
という理由でこの反乱に介入しました。
しかし、イオニアの反乱は失敗します。
そして、そのアテナイの介入をアケメネス朝ペルシア側は内政干渉として、
アテナイ調子乗るんもじゃねぇぞ?これで、心置きなくアテナイに侵入しちゃいまぁす♪
とダレイオス1世はイオニアの反乱を口実として、ギリシア侵攻を決定したのです。
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一方、アテナイではイオニア反乱軍へのサポートを決定した後、しばらくはペルシア穏健派と過激派で議論は対立していました。
しかし、反乱が失敗に終わった後、だんだんとペルシア過激派が勢力を得て行ったのです。
マルドニオスの侵攻
ダレイオス1世はイオニアに味方したアテナイとエレトリア(ギリシアのポリス)に仕返しするために、
ちょっとさぁ、アテナイとかエレトリアとかさぁ、最初イオニアの味方したよねぇ?だから、あいつらを懲らしめて来てよ、まっさぁん
と甥のマルドニオスを含めた部隊をギリシアに派遣しました。
この仕返しなんてのはダレイオス1世にとってはギリシア侵攻のための口実で、
フフフ、これでようやくギリシア全ての都市を支配できちゃうんじゃぁない?!
と実際はギリシア全域支配を目論んでいたとされています。
小規模な遠征軍であったと考えるならば、
征服なんてのは言い過ぎで、偵察に過ぎなかったのでは?
という意見も歴史家によってはあります。
さて、甥のマルドニオスによるこの遠征は途中で、暴風雨にあって大損害を受けます。
さらに、マルドニオス自身も手傷を負ってしまったため、遠征軍は撤退せざるを得ませんでした。
このようにギリシア遠征は失敗に終わってしまったため、マルドニオスはクビとなったのです。
その後も、ダレイオス1世はギリシアのポリスのことが気になります。
そして、ギリシア人の各ポリスにこのような要求をします。
土と水を献上してもらって、従う気があるか確かめようじゃないのぅ
ほとんどのポリスはダレイオス1世の命令に従いました。
しかし、アテナイやスパルタはこれを拒否します。
ダレイオス1世に従う?どうする??
と当時のアテナイでは揺れ動いていました。
さらに、アテナイと仲の悪かったポリスがダレイオス1世の言う事に従うのを見て、そのポリスと紛争状態にもなります。
スパルタもアテナイと同じように揺れ動き内紛を起こしていました。
マラトンの戦い
要求を呑まなかったポリスに攻めようじゃないぃ?!特にアテナイとスパルタちゃんたちねぇ♪
とダレイオス1世は600隻の三段櫂船(さんだんかいせん)という軍の船を派遣しました。
そして、ペルシア艦隊はエレトリアに侵攻します。
エレトリアでもペルシアに付くかどうかで揺れ動いていました。
その時にアテナイの援軍があったのですが、
え、ペルシアに付くかどうかでまだ悩んでるの?
とアテナイの援軍はエレトリアの混乱を目の当たりにして、
うーーん、エレトリアを守ろうと思ったけど、そんな状態なら帰るか!
と守備を放棄して帰ってしまったのです。
一方、エレトリアはペルシア軍の攻撃を受けると、
悩んでる場合じゃなかった!戦わねばやられる…!!
と交戦の意志を固めます。
そして、7日間ペルシア軍の攻撃を受けます。
しかし、内部にまだペルシア軍に付こうという者たちがおり、
城門を開いて降参したら、ペルシア軍は助けてくれるかもしれない…
と考えたのでしょうか。
その城門を開いたことにより、エレトリアは見事ペルシア軍に落とされてしまうのです。
しかし、その後ペルシア軍はマラトンの平野でアテナイ軍の前で敗北します。
これを「マラトンの戦い」と言います。
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ダレイオス1世は自らも遠征に行こうと再度準備を進めていました。
ですが、エジプトやバビロンの反乱で実現できぬまま死んでしまいました。
クセルクセス1世
この次に王となったのがクセルクセス1世です。
私が次の王だからって、遠征かぁ。乗り気じゃないんだけどなぁ…
とクセルクセス1世は後ろ向きでした。
しかし、ダレイオス1世の娘婿であった将軍マルドニオスに説得され、彼はバビロンとエジプトを平定します。
うん、ギリシア遠征やってみようじゃない!
と最終的にはそう決意するのです。
ギリシア連合の結成
ヘロドトスの記述によれば、ペルシアの遠征軍の総数は528万人以上と言われています。
しかし、これは明らかに多すぎです。
なので、この動員された兵力には諸説あります。
いずれにせよ、ギリシア側の兵力をはるかに超えるほどの規模であったことに間違いはありません。
ペルシアが攻めて来る…!
この脅威にポリスたちは怯えます。
アテナイの政治家かつ軍人であったテミストクレスは、会議を開き戦う意志のあるポリスの代表者を招きました。
ここで決められたのは以下の通りです。
- ポリス間の紛争の即時終結
- スパイ派遣
そして、すぐに実行されました。
ここで、ギリシア連合と呼べる体制が整ったのです。
しかし、ペルシアの攻撃を真っ先に受ける位置にあるポリスの中には、ペルシア側に付くものもありました。
テルモピュライの戦い
テルモピュライという土地で、スパルタ王レオニダスを中心としたスパルタ軍がペルシア軍と戦います。
しかし、ペルシア側に付いたギリシア人が裏切り、ペルシア軍にテルモピュライの裏道を教えてしまいます。
その結果、レオニダス王を含めたスパルタ軍は敗北してしまうのです。
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サラミスの海戦
テルモピュライなどの主要な防衛線が突破されたことにより、ペルシア軍がアテナイに迫って来ました。
サラミス水道での海戦をしよう!
とテミストクレスは他のギリシア連合の意見を曲げてまでそう主張します。
この結果、なんとテミストクレスはギリシア連合艦隊をまとめあげ、ペルシア艦隊を打ち破ってしまいます。
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プラタイアの戦い
アケメネス朝ペルシアの将軍マルドニオスは再びアテナイに入ります。
服従せよ
とアテナイ民会にはそう要求したのです。
しかし、アテナイ人は逆に怒り使者を撃ち殺してしまいます。
このためマルドニオスはアテナイ市街を完膚なきまでに破壊し尽くしました。
これをきっかけに、主にスパルタ軍とアテナイ軍を中心にペルシア軍を迎え撃ちます。
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ペルシア戦争の影響
クセルクセス1世は暗殺されてしまいます。
しかし、その後もちょっとした争いは続きました。
ペルシアもギリシアも決定的な戦争の成果を上げることなく、和睦して戦争は終わりました。
ペルシア戦争により結束したかに見えたギリシアでしたが、水面下では有力ポリスの間で覇権争いが続いていました。
特に戦後はアテナイとスパルタの権力化争いが目に見えて激しくなります。
アテナイは一連のペルシア戦争の中で、陸軍国から強力な海軍の力を持つ海上貿易国家へと成長することに成功します。
ペルシア戦争のその後
ペルシア戦争のためにアテナイ主導で締結されたデロス同盟では、経済的結束による同盟関係とは言いつつも、実態は同盟を結んだポリスたちの支配でした。
事実として、あるポリスがデロス同盟から抜けようとしたら、アテナイ軍に包囲されて強制的に同盟に再加入させられました。
また、同盟国から集めたお金はアテナイの国庫に流用されるようになり、その後には金庫そのものがアテナイに置かれ城の再建にも使用されました。
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一方、ペルシア戦争にかなり貢献したスパルタなど農業中心のポリスには勝利した事による見返りがほとんどありませんでした。
さらに、アテナイがスパルタの敵対国と同盟を結んだ事によって、スパルタとアテナイとの間に決定的な軋轢が生じました。
この対立が後のペロポネソス戦争に発展していったのです。
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世界史を体系的に分かり易く学びたい方は、
こちらの本もぜひ読んでみて下さい。
参考:『ペルシア戦争』