イッソスの戦いとアルベラの戦いはどちらもマケドニア王国とアケメネス朝ペルシアとの戦いです。
そして、どちらの戦いでもペルシア軍が負けています。
こういった共通の経緯からか、
この2つの戦いの具体的な違いが分からないよ!
という方も多いみたいですね。
それでは、この2つの戦いの違いとは一体何なのでしょうか?
それぞれの戦い方について詳しく解説していきます!
イッソスとアルベラの戦いの違い
先に起こった戦いはイッソスの戦いです。
この戦いはアレクサンドロス大王の東方遠征中に起こった戦いの中で2番目に大きな戦いです。
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そもそもアレクサンドロス大王って誰だよ?
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イッソスの戦いはイッソスという土地で行った戦いです。
一方、アルベラの戦いは後に起こり、ガウガメラという土地で行われました。
なので、ガウガメラの戦いとも言われます。
マケドニア王国のアレクサンドロス大王 vs. アケメネス朝ペルシアのダレイオス3世
とどちらも同じ人物達による戦いなのでややこしいのです。
ですが、この2つの戦いの違いを挙げるとすれば時代と土地ですかね。
ここからは、それぞれの戦いについてもう少し詳しく解説して行きたいと思います。
イッソスの戦いの幕開け
アジア遠征に出たアレクサンドロス率いるマケドニア王国とコリントス同盟の連合軍は、小アジア全体を征服するために進撃を続けました。
コリントス同盟とは、マケドニア王フィリッポス2世がカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍に勝利した後に結成された同盟です。
スパルタを除くギリシアの全ポリスが加盟しました。
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アケメネス朝ペルシアのダレイオス3世が大軍を用意している!
という情報を聞きつけ、アレクサンドロスはイッソス湾を先に占領しようとしました。
それには理由がありました。
もしダレイオス3世がイッソス湾まで到達してしまえば、ペルシア艦隊の援護を受けることが出来たからです。
そうあってなるものか…!!
とアレクサンドロスは南へ向かいます。
一方、向かった先とは逆方向の北にペルシア軍は進みイッソスを目指します。
結果的にペルシア軍はイッソスを抵抗なしに占領し、マケドニア軍を待ち受けました。
イッソスの戦いとその後
それぞれの軍の総兵力をまとめると、
- ペルシア軍:60万人
- マケドニア軍:ギリシアの同盟軍を加えても4万人以下
と絶望的な兵力差がありました。
しかし、こんな不利な状況にも関わらず、アレクサンドロスの巧みな戦術によりペルシア軍を打ち負かします。
さらに、マケドニア軍は逃走するペルシア軍すらも虐殺しました。
王自ら率いたペルシア軍が負けたのはこれが最初でした。
そして、ここからペルシア帝国の衰退が始まったのです。
この戦いで、マケドニア軍はダレイオス3世の妻を含めた婦人を捕らえました。
そして、アレクサンドロスは捕らえた婦人たちを丁重に扱い、その内の王女とその後に結婚しています。
この戦いの後にダレイオス3世は講和の申し入れをしていますが、
いや、無理っしょ
とアレクサンドロス大王はその申し入れを拒否しています。
アルベラの戦いの幕開け
イッソスの戦いの後に、アレクサンドロスは地中海沿岸地方とエジプトを制圧します。
そして、だんだんとダレイオス3世のいるアケメネス朝ペルシアに近付いていったのです。
この行動に対して、ダレイオス3世は帝国中から軍をかき集めて大軍を組織しました。
彼は数でアレクサンドロスを打ち負かそうと、なんと約20~25万人(諸説あり)の兵士を準備したのです。
さらに、ペルシア軍が得意とする戦車隊や、多くの兵士を優位に活用できる平原を戦場に選びました。
この圧倒的な準備力にペルシア軍の意気込みを感じますね。
このように、ペルシア軍は圧倒的な軍の数を誇っていましたが、質的にはマケドニア軍に劣っていました。
例えば、6メートルの長さの槍で武装したマケドニア軍に対して、ペルシア軍の歩兵はほとんどが訓練不足かつ武装も劣っていました。
また、アレクサンドロスの天才的な戦略も戦いの勝因に貢献しました。
彼は敵軍の間に裂け目を作り出し、そこから中央に直接攻撃するのが非常に上手かったのです。
他にも、ペルシア軍の得意とする戦車に対しても防御する戦略を編み出していました。
アルベラの戦いとその後
結果的にアレクサンドロスはダレイオスの騎兵を惑わし、そこで出来た中央への裂け目に向かって突進します。
おりゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!
この攻撃を恐れたダレイオス3世を含むペルシア軍は逃げ出します。
そんな追いかけようとしたアレクサンドロスに対して、
た、助けて下さいませ、アレクサンドロス様…!!
と信頼する将軍パルメニオンから救援の伝令を受け取ります。
マケドニア軍が崩壊する危険を犯してまで追い続けるか、パルメニオンを助けに行くか…
という選択にアレクサンドロスは迫られる中で、
よし、パルメニオンを助けに行ってからダレイオスを追いかけるぞ!
と結局はこうなりました。
そして、アレクサンドロスたちはペルシア軍を叩きのめします。
戦闘が終わりアレクサンドロスは急いでダレイオス3世を追いかけましたが、とうとう逃げ切られてしまいました。
この後、アレクサンドロスは「大王」と言われるようになります。
軍を再編せよ!今度こそ、目に物見せてやる…!!
とダレイオス3世は思っていましたが、部下の一人に裏切られ殺されてしまうのです。
ここで、アケメネス朝ペルシアは滅亡してしまいました。
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