カイロネイアの戦いとは、マケドニア王国とギリシアのポリス(都市国家)であったアテナイ・テーバイ連合軍の間で戦われた会戦のことを言います。
そんなマケドニア王国の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、
ペロポネソス戦争とは?原因や勝敗を分かり易く簡単に解説!
ペロポネソス戦争とは、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間の対立がきっかけで起こった戦争です。アテナイの行動を恐れたペロポネソス同盟のポリス達が下した決断とは?どちらが勝ったの?ペロポネソス戦争による影響もまとめてますよ!
こちらの記事を先にお読み下さい。
それでは、このカイロネイアの戦いとは一体どのようなものだったのでしょうか?
カイロネイアの戦いはなぜ起こった?
マケドニア王国の王であったフィリッポス2世は、ギリシアでの影響力を強めていました。
影響力を強めるきっかけとなったのは、ペロポネソス戦争によるものでした。
ペロポネソス戦争?何それ、よく分からないよ!
と思った方は、まず先にこちらの記事をお読み下さいませ。
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ペロポネソス戦争とは、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間の対立がきっかけで起こった戦争です。果たして、どちらが勝ったのか?ペロポネソス戦争によるその後の影響もまとめていますよ!
このマケドニア王国の動きに危機感を感じたギリシアの政治家デモステネスは、
マケドニアの動きがヤバイよ!ギリシアで一致団結して戦わないと
と主張しました。
そして、テーバイと同盟を組んだアテナイは、マケドニア王国とカイロネイア近郊で戦いました。
テーバイの神聖隊が壊滅
この戦いには、後のアレクサンドロス大王も参加していました。
アレクサンドロス大王って?
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結果的には、マケドニア軍の圧勝でした。
特にテーバイの神聖隊は、300人中254人が戦死したそうです。
この神聖隊とは、ギリシア最強と言われた精鋭歩兵部隊でした。
この神聖隊は男性の同性愛カップルで成り立っていました。
なぜ男性同士のカップルを採用したかというと、
愛する相手に惨めな姿を見せず、相手の恋人を守って戦うだろう
と考えられていたからです。
コリントス同盟の結成
この戦いの後、フィリッポス2世はコリントス同盟を結成しました。
この同盟には、スパルタを除いた全ポリスが参加します。
フフフ、これでわがマケドニア王国がギリシアのほぼ全部を支配したも同然
とフィリッポス2世が思えるほど不平等な同盟でした。
コリントス同盟により、
ペルシア戦争はギリシアに多大な損害を与えた。この復讐として、ペルシアを討伐しよう!
と会議で決められました。
そして、各ポリスの兵士はマケドニア王国に派遣されます。
この兵士たちは「人質」としての意味も果たしました。
フィリッポス2世が暗殺された後は、息子であるアレクサンドロス大王がコリントス同盟のリーダーを引き継ぎました。
スパルタは同盟不参加
コリントス同盟に参加する意思も見せなかったスパルタに、フィリッポス2世は脅しの意味も込めて次のような手紙を送りました。
もし私が攻め入ればスパルタは破壊し尽くされ、二度と再興することはないだろう
これに対してスパルタも返事を書き、それがフィリッポス2世の元に届けられました。
もし
たったこれだけでした。
当時、スパルタ地方では簡潔な表現を用いる習慣があり、
もし(侵攻したらの話だが)
という意味合いがこの一言には含まれていました。
つまり、フィリッポス2世の話はあくまで仮定の話であるということを強調することによって、スパルタはマケドニア王国に攻めさせないということを暗に示したのです。
スパルタ vs マケドニア
アレクサンドロス大王が東方遠征をしている時に、スパルタは反乱に立ち上がりました。
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スパルタ王はペルシアの将軍にアレクサンドロス大王との戦争計画をもちかけました。
ふむ、確かにあのアレクサンドロスとかいう若造は強い。よし、その計画乗った!
とペルシア帝国はスパルタを支持して、多額の軍資金を援助しました。
そして、マケドニア軍と戦います。
始めはスパルタ軍も強く優勢だったのですが、2倍以上の兵力差があった為にだんだんと劣勢になって行きました。
そして、ついにスパルタ王は、
くっ…、このままだと我らの敗北は目に見えている。お前たちだけは、どうか生き延びてくれ
と部下たちにそう命令しました。
そして、自らは武器を手にして戦い続け、ついには英雄的な最期を遂げたのです。
その後、スパルタはコリントス同盟に強制的に参加させられました。
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