アレクサンドロス大王は、歴史の中でも戦略家としてとても有名です。
そんな彼についてよく知らない方は、
アレクサンドロス大王とはどんな人?5つのエピソードまとめ
世界史で超有名人物アレクサンドロス大王(3世)ってどんな人物? 彼はなぜ有名人になったの?あの有名な哲学者アリストテレスを家庭教師に持った男の偉業とは何だったのか?エピソードと共に分かり易く解説しています!
まずは先にこちらの記事をお読み下さい。
とてもパワフルなアレクサンドロス大王。
彼はなぜ東方遠征を行ったのでしょうか?
また、東方遠征によって占領した地域はどこなのでしょうか?
東方遠征をなぜ行ったの?
アレクサンドロス大王は父であるフィリッポス2世と共にギリシアのポリス(都市国家)であったアテナイ・テーバイ連合軍を打ち破りました。
その後、彼らは全ギリシアを支配しました。
これを、カイロネイアの戦いと言います。
カイロネイアの戦いについて詳しく知りたい方は、
カイロネイアの戦いはなぜ起こった?分かり易く丁寧に解説!
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この戦いをきっかけに、フィリッポス2世はペルシア帝国への東方遠征を計画していましたが、その途中で暗殺されてしまいます。
そして、アレクサンドロスが、マケドニア王国の王様に20歳という若さでなったのです。
そんな彼が王となった後、ギリシアのポリスたちは
フィリッポス2世さんが亡くなったんだ。この先私たちはどうなるんだろう…
とちょっと混乱していました。
しかし、アレクサンドロス大王は遠征で勝利したり、反乱を抑えたりしたので、全ギリシアを父と変わらず支配し続けることに成功したのです。
父と一緒に計画していた東方遠征を、何とかやり遂げるんだ…!!
という熱い想いで、アレクサンドロス大王の東方遠征はここから始まりを迎えます。
イッソスとアルベラの戦い
父の遺志を引き継いだアレクサンドロス大王は、マケドニア軍を率いてペルシア帝国を討とうと東方遠征へと向かいました。
そして、ペルシア軍と初めての戦いを行います。
ここでアレクサンドロス大王は派手な鎧と兜を着て、騎兵の先頭に立ち自ら馬を使って敵に突進して行きました。
うりゃ—————!!
と敵の将軍を、投げやりでしとめてしまったのです。
さすがは、アレクサンドロス様です…、お見事!!
と味方には絶大な信頼を得ることが出来ましたが、
あいつ、めちゃくちゃ過ぎるだろ…怖っ!!
と敵には計り知れない恐怖心を与えることになったのです。
俺に付いてこい、マケドニア軍よ!!
とカリスマ性を帯びたアレクサンドロス大王率いるマケドニア軍は、ペルシア軍を蹴散らしながら東へと突き進んで行ったのです。
ついに、アレクサンドロス大王はペルシア帝国の王であるダレイオス3世率いるペルシア軍の大軍と遭遇することになります。
このアレクサンドロス大王 vs. ダレイオス3世の戦い、実は二度起きています。
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結果的に、これらの戦いを通してペルシア帝国は滅亡してしまいます。
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エジプト征服と神のお告げ
シリアでアレクサンドロス大王は、
アレクサンドロス様バンザイ!
と歓迎されました。
その理由は、反ペルシアの都市が多かったからです。
その一方、必死に抵抗したフェニキアとガザ(現在のパレスチナ自治区)をアレクサンドロス大王は降参させ、さらに南に向かいエジプトへ侵入しました。
エジプトでは、ペルシア帝国の統治が根付いていなかったため占領自体は簡単でした。
アレクサンドロス様は、我々の解放者だ!
とエジプト人達はアレクサンドロス大王を、ファラオ(エジプトの君主)として迎え入れました。
アレクサンドロス大王は、古代エジプトの太陽神「アメン」の聖地に赴き、この土地で
そなたはアメンの子だ
とする神のお告げを受けました。
アメンはギリシア神話の全知全能の神ゼウスと同一視されていました。
これは、
アレクサンドロス大王はゼウスの子である
という神のお告げに、彼にとっては等しかったのです。
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その後にアレクサンドロス大王が建設した都市が、現在のエジプト第2の都市「アレキサンドリア」の起源とされています。
内部争いとインド遠征
中央アジアへ侵攻したアレクサンドロス大王は、ソグド人による激しい抵抗にあったり、過酷なゲリラ戦を行ったりしました。
ちょっと激し過ぎて疲れたよ…
と兵士たちの士気は一気に下がってしまいます。
やったんでぇ?
と好戦的な遊牧民であるスキタイ人も攻撃をして来ましたが、アレクサンドロス大王とその部下は遊牧民にも勝利します。
そして、そのスキタイ人の王が
アレクサンドロス大王の命令は何でも受け入れるので、どうかお許しください
と懇願したほどでした。
この頃から、殺害・陰謀事件などのように、アレクサンドロス大王と部下たちの間に摩擦が生じ始めました。
さて、ペルシア帝国を征服したアレクサンドロス大王は、次にインドの遠征を始めました。
戦いの結果、古代インドの王ポロスを破ります。
その後も次々に諸部族を平定しながら進軍し、さらにインド中央部に向かおうとしましたが、
アレクサンドロス様、もう無理っす。動けないっす俺ら
と部下が疲労を理由に、これ以上の進軍を拒否したのです。
このため、アレクサンドロス大王は
しょうがねえなぁ
とやむなく兵を引き返すことにしました。
そして、半年後に再びインドに戻り次々と進軍して行きます。
この時、アレクサンドロス大王は部下の一人にインダスからペルシア湾を通って、ユーフラテス川の河口までの航海を命じました。
この探検航海によりこの地方の地理が明らかになり、後世への貴重な記録となっているのです。
このようなアレクサンドロス大王の功績について詳しく知りたい方は、
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また、アレクサンドロス大王の生まれ故郷は、マケドニア王国です。
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参考:『アレクサンドロス3世』