ヘロドトスは古代ギリシアで活躍した歴史家です。
この時に初めて「歴史」という概念が生まれその後も影響を与えたので、歴史学の中では重要人物の1人とされています。
また、しばしば「歴史の父」とも呼ばれています。
ヘロドトスが書いた『歴史』は、完全本として残っている古代歴史書の中では最古のものです。
さらに、古代ギリシアだけでなく
などの古代史研究の基本的な史料の1つです。
さて、生没年不詳(おそらく60歳くらいで亡くなった?)かつ謎の多い彼の生涯とはどんなものだったのでしょうか?
ここでは、ヘロドトスについて知りうる限りのプロフィール情報をまとめてみました!
ヘロドトスとは?
世界史を勉強していて一度は「ヘロドトス」という人物を聞いたことがあるのではないでしょうか?
あるけど、ぶっちゃけどんな人物だったかまでは知らないよ
という人もきっと多いはず。
それは当然の反応です。
なぜなら、ヘロドトスに関する情報は本当に少ないからです。
東ローマ帝国で10世紀頃に成立した「スーダ辞典」にちょこっとヘロドトス関連の事項が載っていたり、古代の作家たちによる言及やヘロドトス自身が述べたことくらいです。
ヘロドトスの家族構成
ヘロドトスはアナトリア半島(現在はトルコ領)の出身で、当時はかなりギリシア文化の影響を受けていました。
その証拠に、ヘロドトスの名前はギリシア語により名付けられています。
名前の意味は「ヘーラー女神の贈り物」です。
ヘーラーって誰?
と思った方もいるでしょう。
ヘーラーとは、ギリシャ神話に登場する女神の一人です。
最高神ゼウスの奥さんでもあり、ゼウスが浮気する度に嫉妬してしまう「結婚」を司る女神です。
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さて、話は戻ってヘロドトスには従兄弟(または叔父)に当時としては評判の高かった詩人がいました。
詩人が身内にいることからも分かるように、彼の生まれ育った環境は当時としては知的・文化的にも恵まれたかなりのインテリ層だったのでしょう。
実際に、ヘロドトスの出身家は名門だったようです。
政治批判で国外追放
ヘロドトスが故郷にいた頃、彼は知勇に優れたハリカルナッソスという女性を深く尊敬していました。
それは『歴史』の描写からも明らかに読み取ることが出来ます。
彼女はアルテミシア1世の統治下にあったのですが、その後王の息子または孫で僭主(せんしゅ)となったリュグダミスがハリカルナッソスを支配するようになります。
古代ギリシアではよくこの僭主が登場します。
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あんな素晴らしい女性が、なぜ支配されなければならないんだ…!
と思ったのでしょう。
僭主リュグダミスにヘロドトスと従兄弟のパニュアッシスは反対しました。
しかし、パニュアッシスは殺害され、ヘロドトスは母国を追放されサモスでの亡命生活を送りました。
サモスはギリシャ神話の主神ゼウスの正妻ヘーラーの生まれた島とされています。
自分の名前がヘーラーと関わりがあったから、亡命場所に選んだのでしょうか。
その真相は謎に包まれていますが、リュグダミスへの反抗はその後も相次ぎます。
そして、ついにリュグダミスの政権は倒されてしまうのです。
一説にはヘロドトスもまたこの反抗の一部に関わったとされています。
引っ越しの多い人生
ヘロドトスはサモスにしばらく滞在した後、
- ギリシアのポリス(都市国家)の一つであったアテナイに行く
- イタリアに建設された新しい植民市トゥリオイに移住する
と居場所を転々とした生活をしていたようです。
このトゥリオイは、アテナイの支配者ペリクレスがギリシア各地から移民を集めて建設された都市です。
ヘロドトスがどのようにして参加したかは不明ですが、彼がトゥリオイの市民であったことは間違いないでしょう。
ペリクレスとはアテナイの政治家であり、アテナイの最盛期を築き上げた超重要人物です。
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旅行で書いた『歴史』
ヘロドトスはサモスを去ってから、
- アテナイ
- キュレネ
- クリミア
- ウクライナ南部
- フェニキア
- エジプト
- バビロニア
などの地域を少なくとも旅していたようです。
彼はこれらの旅で得た知見をまとめ『歴史』という著作を残したのです。
この著作は古代の歴史書の中では最古のものです。
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この中でペロポネソス戦争についても書いていることから、
ペロポネソス戦争勃発の頃までは生きていたのでは?
と考えられています。
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ヘロドトスの最期って?
ヘロドトスが最後どこで死んだのかもはっきりとは分かっていません。
ここまでがヘロドトスについて知りうる限りの情報となります。
やはり、本人が語ったものや彼についての逸話なんかもほぼ無いに等しいので、あまり内容からは人間味を感じられませんでしたね。
そんなヘロドトスとよく比較される同時代の歴史家がいます。
それがトゥキュディデスです。
彼らの違いについてまとめた記事もあるので、
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よければこちらも参考にしてみて下さい。
ヘロドトスの名著『歴史』をなんと本でがっつりと読む事が出来ます!
そんな『歴史』の内容を深く理解したい人は、
こちらの本もぜひ読んでみて下さい。
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世界史を体系的に分かり易く学びたい方は、
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参考:『ヘロドトス』