『歴史』はヘロドトス が記した歴史書です。
この著書により彼は「歴史の父」と呼ばれます。
ヘロドトスについてさらに詳しく知りたい方は、
ヘロドトスとは?『歴史の父』と呼ばれた人物の生涯まとめ!
ヘロドトスは、古代ギリシアで活躍した歴史家です。彼の著書『歴史』は、古代ギリシアやペルシアの歴史を知る上でとても重要です。そんなヘロドトス自身の人生とはどんなものだったのか?簡単に彼の生涯についてまとめてみました!
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紀元前5世紀のアケメネス朝ペルシアと古代ギリシアのポリス(都市国家)たちの間で起きたペルシア戦争を中心に、
- ペルシアの建国から拡大
- オリエント(現在の中東)世界各地の歴史
- 風習や伝説
などが載っています。
ヘロドトスは古代世界を旅して、各地の話を集めて行ったとされています。
ギリシアとアケメネス朝ペルシアとの間で起きたペルシア戦争の原因は、
絶対的権力を持つペルシア王と、民主的行政府を持つギリシアとの考え方の違いが原因だ
とヘロドトスは述べています。
そんなペルシア戦争について詳しく知りたい方は、
ペルシア戦争とは?戦いの順番を簡単にざっとまとめてみた
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ヘロドトスはこの作品の冒頭で、
これはヘロドトスの調査・探求であって、ギリシア人や異邦人(ペルシア人)が残した偉大で驚嘆すべき事柄の数々、特になぜ彼らが戦うことになったのか、そういったことを人々が語らなくなるのを恐れて書き述べたものである
と著者名と執筆の目的を書いています。
ここで示されている戦いはペルシア戦争のことを指します。
また、最初に筆者名を書くことによって主体性と責任場所を明らかにしています。
さて、ここからは著書『歴史』から分かるヘロドトスの思想であったり、彼に影響を与えた思想をご紹介していきます!
ヘロドトスの執筆姿勢
ヘロドトスが『歴史』を書いていた頃、その内容に登場する当事者や関係者がまだ生きていました。
さらに、その探求の方法は史料を確認して情報収集する現代の歴史研究とは違い、現地取材をしたり自ら経験したことをメインとしました。
なので、ヘロドトスはなるべく自分自身の目で確認するように努めました。
また、不足情報は人から伝え聞いたり彼らの証言によって補ったので、
これはちょっと…
とヘロドトス自身が疑わしいと考える情報も多くありました。
ですが、その信憑性にこだわらずそのまま『歴史』に掲載しています。
彼自身もその著書の中で、
神話的であったエジプト人の話は、そのようなことが信じられる人はそのまま受け入れればよかろう。本書を通じての私の立場は、それぞれの人の語るところを私の聞いたままに記すことにあるのである。
と言っています。
また、ヘロドトスは『歴史』の内容を各地で口演していたと言います。
ヘロドトスが聴衆へ語り聞かせていたので、彼らを楽しませるための様々な
- 説話や余談
- 本筋からの脱線
という特徴がこの著書にはあるとも考えられています。
神話に対する執筆姿勢
一方、この執筆姿勢は必ずしも徹底していませんでした。
情報を選ぶ際の基準は曖昧でしたし、神々と人間との関わりについても彼が一貫した哲学を持っている訳でもありませんでした。
神話の歴史については触れず、
本当に?
と神話の言い伝えも懐疑的な姿勢を取っていました。
さらに、神々がかつて人間と交わったり、神の出現というような出来事を事実としても認めていませんでした。
「ヒストリエ」の成立
今でこそヘロドトスは歴史家ですが、当時の彼には現代の意味で言う「歴史」を書くという意識はありませんでした。
なぜなら、彼が生きた時代にはまだ歴史というジャンルがなかったからです。
ヘロドトスが使った「調査・探検(ヒストリエー)」というギリシア語の単語は、
- 英語:history
- フランス語:histoire
といったそれぞれの「歴史」の語源となっています。
ですが、彼がこの「historia」という単語を使った時、基本的には「調査」または「尋問」という意味で使用されています。
つまり、ヘロドトスの意味した歴史とは「自身による研究調査結果」を語るものでした。
ヘロドトス以前の「historia」の意味は神話や系譜、地誌に関してでしたが、彼はこれを「人間界の出来事」にまで広げた点が特徴的です。
イオニアの先代知識人
ヘロドトスの時代には、なぜ「歴史」というジャンルが存在しなかったのでしょうか?
この背景には、古代ギリシアのイオニア地方で活発化していた知的活動がありました。
この活動により、ヘロドトスの仕事もまた当時の流れとしては当然の活動だったのです。
特に当時のイオニアでは数多くの哲学者を輩出していました。
例えば、以下のような人物が今日でも知られています。
- 万物を構成する根源を追求したタレス
- やエフェソス出身の自然哲学者ヘラクレイトス
- 数学者ピュタゴラス
- 医者ヒポクラテス
こうした哲学者たちが生きた時代。
この時に「歴史」として伝えられたのは神話や叙事詩でした。
神々と人間の世界は連続していて、神そのものや超人的な力を持つ英雄たちが王家の祖先として語られていたのです。
イオニアの哲学者たちはそういったストーリーに対して、
ホンマにそうか?
という疑問を持っていました。
なぜなら、以下のような疑問点があったからです。
- 神話内の系譜の矛盾
- 出来事の相関性
- 尊敬される神々が行う破廉恥な行いに対する倫理的疑問
ヘロドトスがイオニアの先代の哲学者たちの議論に触れ、
ふむ、なるほど!
とそれをよく理解していたので、著書『歴史』はイオニアのより大きな知的文脈の中に位置付けられているとも言えます。
歴史家ヘロドトス誕生
ヘロドトスが亡くなってから100年後に、ギリシアでは詩とは違った「歴史」というジャンルが成立していきました。
後世の人達が歴史を認識するようになると、
え、ヘロドトスさんすごくない?彼のやって来た仕事がまさに歴史なんだけど!
とヘロドトスを歴史の開拓者として位置付けるようになっていきました。
有名な古代ギリシアの哲学者アリストテレスは
歴史家と詩人は韻文であるかないかという点に違いがあるのではなく、歴史家は既に起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に違いがある
と言ってヘロドトスを歴史家として分類しています。
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ヘロドトスの著書『歴史』の中で、一番初めに歴史学の例を見ることが出来ます。
そのため、彼はしばしば「歴史の父」と呼ばれます。
彼を最初にこう呼んだのは、古代ローマの政治家であり哲学者でもあったキケロです。
キケロの著書の一節でヘロドトスをこう呼んでいるのですが、なぜそう呼んだのかについては分かっていません。
いかがでしたでしょうか?
古代ギリシアとアケメネス朝ペルシアを語る上で、ヘロドトスの『歴史』は欠かす事の出来ない著書です。
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参考:『ヘロドトス』・『歴史 (ヘロドトス)』