メソポタミアは現在のイラクの一部にあたり、実はメソポタミアに生まれた複数の文明を合わせた呼び名なのです。
そんな複数の文明を持つメソポタミア文明について、
どんな文明なの?
と思う方もいるでしょう。
また、この文明は世界最古というだけあって、
宇宙人によって人間が創られた…!
という人知を超えた言い伝えまであります。
この時代、多くの古代文明が太陽神(空飛ぶ船に乗ってやって来た)によって様々な事を教わったとされているそうですよ。
そんな謎多きメソポタミア文明について分かり易く解説しています!
メソポタミア文明の謎の成立
紀元前3500年前後にメソポタミア文明がつくられました。
この時代、運河を整備して豊かな農業収穫がありました。
こういった農業文化はエジプト文明などよりも早かったようです。
- 豊かな大地
- 整備された灌漑施設
- 高度な農耕器具による収穫量
は現代とあまり違いがないかったのだとか。
世界最古の文明と言われるからこそ、謎の多い時代でもあります。
例えば、文明の最初の頃に中心となったのはシュメール人です。
この民族はどこから来たのか正直よく分かっていません。
よく都市伝説で言われているのは、
シュメール人たちは宇宙人によって作られた者たち
であるということ。
こう言われるほど、シュメール人のルーツは未だ謎に包まれています。
そんな謎多きシュメールについてさらに詳しく知りたい方は、
シュメールとは?シュメール人の歴史の謎をまとめてみた!
メソポタミア文明の一番初めに登場するシュメール文明。シュメール人は都市伝説界では、「アヌンナキ」という宇宙人によって作られたんじゃないの?という噂もあるほどです。果たして、それは本当なのでしょうか?
こちらの記事をお読み下さい。
古代シュメール文明では、土地が農作物を育てるのに最適な場所だったので、多くの勢力の基盤となりました。
しかし、そんな豊かな暮らしの背後で人々は森林伐採をやり過ぎてしまいます。
現代と同様の環境問題がこの時代にも起きたんですね。
そして、数多くの森林伐採により砂漠化が起きたのです。
メソポタミア文明の歴史の流れ
そういった問題を抱えたメソポタミア文明では、数多くの民族が誕生しては滅びるという歴史をたどっていきます。
3000年もの間の文明なので、その間に様々な都市国家が誕生していてもおかしくはないですよね。
メソポタミア文明はいつから?
メソポタミア文明の一番古い歴史は、先史時代と呼ばれる紀元前6000年頃から誕生したとされています。
その始まりの歴史からシュメール文明までの間に、少なくとも3つの文化が栄えていました。
謎に包まれた「シュメール」時代
シュメール人とアッカド人たちはバビロニアの南部で数多くの都市国家を誕生させました。
そのような都市国家には以下のようなものがあります。
- キシュ
- ニップル
- アダブ
- シュルッパク
- ウンマ
- ウルク
- ウル
そして、シュメール人とアッカド人たちはバビロニアを含むメソポタミア全域支配を企みます。
もうこの時代は権力者が誕生しては衰退して行くの繰り返しの時代でした。
ちなみに、シュメール人の信仰した宗教について詳しく知りたい方は、
シュメール神話とは?内容のあらすじや聖書との関係を解説!
最古のメソポタミア文明に存在したシュメール神話。その中で登場する「アヌンナキ」は宇宙人だったのか?旧約聖書の洪水話「ノアの方舟」との関連性は?そういった都市伝説系の質問や疑問にもお答えしてる記事です!
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サルゴン王の「アッカド」時代
シュメール人の都市国家が衰退した後に、アッカド帝国を建設したサルゴン王が初の統一王朝となります。
バビロニアの都市バビロンは、このサルゴンさんによって建設されたという伝説もあるほどです。
このサルゴン王の凄いところは、自分たちの都市国家の統治を超えた領域の支配をしたことです。
そして、中央集権国家のアッカド帝国を作りました。
しかし、そんなアッカド帝国も5代目の君主で滅びてしまいます。
この最後の王の時、かなり混乱や分裂を引き起こしていたようです。
短かった「ウル第3王朝」時代
アッカド帝国の衰退の後は、ウル第三王朝がウル・ナンムによって建てられメソポタミアを支配しました。
シュメールとアッカドの王
と呼ばれた彼は最初の王です。
また、「ウル・ナンム法典」という法典を最初に書物にした人物でもあります。
この頃には、正義という概念も形作られていたようで、その概念は後のバビロニアの王が従うべき道徳模範にもなったようです。
しかし、ウル・ナンムの時代は100年ほどしか存続しませんでした。
今で言ったら、
徳川幕府と同じくらいじゃん!
と思うかもしれませんが、この時代は1000年単位の王朝も多くあります。
そう考えると、
ウル王朝の時代は短命であった
と考えられても不思議ではありません。
この原因はどうやら2つあるようです。
- 西からメソポタミアに移住して来たアムル人の勢力の増加
- 東で反乱が起こり鎮圧したが、他の都市が事実上自立してしまった結果、力が大きく衰えた
ここからは争いが絶えず起こり、とうとうウルさんの王朝は滅亡してしまったのです。
ハンムラビの「古バビロニア」時代
バビロニア時代は、「古バビロニア」と「新バビロニア」という2つの時代区分に分かれます。
古バビロニアの時代で代表的な王はハンムラビ王です。
彼は「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典を作らせた王でもあります。
そんなハンムラビ法典の内容についてさらに詳しく知りたい方は、
ハンムラビ法典の倍返しが怖い?あらすじと内容を解説!
ハンムラビ法典って、「目には目を、歯には歯を」というフレーズで有名な怖い法律書でしょ?と思っている方は意外な内容かもしれません。メソポタミア文明のバビロニア時代に作られた厳しい法典と言われていますが、果たしてその内容はいかに?
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さらに、初期のバビロニアの歴史についても詳しく知りたい方は、
古バビロニア王国を滅ぼした民族とは一体どこだったのか?
メソポタミア文明と言えばバビロニア!というくらい大規模な都市国家でした。それでは質問です。古バビロニアを滅ぼした民族はどこでしょう?未だに謎に包まれている部分も多いですが、現段階の事実をお伝えします!
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突然滅亡した「ヒッタイト」時代
現在のトルコにあったヒッタイト帝国により、古バビロニア帝国は滅ぼされます。
そんなヒッタイトは突然滅亡…。
その滅亡した原因については以下のような説があります。
- 海の民によって滅ぼされた
- 国内の内紛が深刻で食糧難などを引き起こし滅亡
果たして、その真相はいかに?
ヒッタイトの歴史についてさらに詳しく書いている記事があるので、
【ヒッタイトの歴史】王国滅亡の理由は『海の民』にあった?
メソポタミア文明の都市国家ヒッタイトと言えば!そう、鉄なんです。さらに、交易でも栄えていました。そんなヒッタイトは、海の民の攻撃をきっかけに突然滅亡してしまいす。一体、海の民とは何者だったのか…?!
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ニネヴェで滅亡「アッシリア」時代
ヒッタイトの衰退に伴いアッシリア帝国が勢力を広げます。
そんな初期のアッシリアの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、
アッシリアとは?中央集権を生んだ歴史を分かりやすく解説!
アッシリアの国家制度が、強大な王国へと変えた、と言っても過言ではありません。メソポタミア文明の中でも、力のあったバビロニアを支配するまでになります。果たして、その強国アッシリアの歴史とはどうだったのか?
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その後、アッシリア帝国はオリエント地域(現在で言うところの中東とエジプト)全体を支配する大帝国となりました。
しかし、その後に新バビロニアとメディアの反撃により、首都ニネヴェが陥落して破壊され、アッシリア帝国は滅亡してしまいます。
そんなアッシリア滅亡までの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、
『新アッシリア帝国』滅亡の原因はニネヴェの戦いだった?!
メソポタミア・シリア・エジプトを含んだ世界帝国を築いたアッシリア帝国。中央集権的な国家体制を維持し、オリエント全域を征服する大帝国となった新アッシリア王国は、どのようにして滅んでしまったのでしょうか?
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バビロン捕囚と「4帝国」時代
アッシリア帝国の滅亡後、4帝国時代を迎えます。
4帝国とは以下のことを指します。
- イラン高原のメディア
- メソポタミアの新バビロニア
- 小アジアのリディア
- エジプト第26王朝
4帝国の内の1つである「新バビロニア」の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、
新バビロニアとは?成立から滅亡までの3つの歴史を解説!
新バビロニア王国は、特にバビロン捕囚を行ったネブカドネザル2世の時代が全盛期です。しかし、それ以外の新バビロニアの歴史を知らない方も多いかと思います。この記事では、新バビロニア帝国の誕生から滅亡までの歴史について分かり易くまとめてみました!
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また、この時代に行われたもっとも有名なものが、ユダヤ人たちを強制移住させた「バビロン捕囚」です。
バビロン捕囚についてさらに詳しく知りたい方は、
バビロン捕囚とは?分かりやすく歴史的背景を解説してみた!
世界史で『バビロン捕囚』と聞いたことはないでしょうか?バビロン捕囚をきっかけにユダヤ教が誕生しました。どのようにして、ユダヤ人達が宗教的な結びつきを強めていったか?この記事で詳しく解説してます!
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アケメネス朝ペルシアの時代
アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が新バビロニアを滅ぼし、メソポタミアを含むオリエント全域を領土とした大帝国を築き上げました。
アケメネス朝の支配は200年ほど続きましたが、最終的にはマケドニア王国のアレクサンドロス3世によりアケメネス朝ペルシアは滅亡しました。
そんなアケメネス朝ペルシアについての歴史についてさらに詳しく知りたい方は、
アケメネス朝ペルシアとは?歴史の流れを分かりやすく解説!
アケメネス朝ペルシアとは、オリエント世界を統一した王朝です。ダレイオス1世の時代には世界帝国にまでなりましたが、最後はアレクサンドロス大王によってダレイオス3世の代に滅ぼされました。そのペルシア帝国の歴史を簡単に解説しています!
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メソポタミア文明が滅びた理由
これほどまでに長く続いた古代メソポタミア文明は、紀元前4世紀のアレクサンドロス3世の東方遠征によって終わりを迎えます。
この東方遠征について詳しく知りたい方は、
『東方遠征』とは?理由から結果までを簡単に解説してみた!
アレクサンドロス大王はなぜ東方遠征を行ったのか?その理由は、暗殺された父フィリッポス2世と一緒に計画したペルシア帝国への東方遠征の野望があったからです。東方遠征によって占領した地域情報等もご紹介しています!
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アレクサンドロス3世の東方遠征後、メソポタミア文明は古代オリエント(中東)とギリシアの文化を融合した「ヘレニズム」の世界の一部となって行くのです。
メソポタミア文明の宗教の特徴
メソポタミア文明には、エジプトのピラミッドのような「ジッグラト」と呼ばれるものがあります。
これが一体どのような目的で作られたのかは未だ謎に包まれています。
おそらく、神の為の「神殿」のような役割を担っていたのではないか?
という可能性が高いとされています。
そんなジッグラトを中心に、巨大な都市国家が誕生していきました。
旧約聖書との関連も深いのがメソポタミア文明の特徴の1つです。
- ユダヤ教
- キリスト教
- イスラム教
に共通して出て来る最初の預言者アブラハムはメソポタミアの都市ウル出身と言われています。
そんなアブラハムについて詳しく知りたい方は、
アブラハムってどんな人?何をしたのか分かりやすく解説!
聖書を読んでいると必ず出て来る有名人が「アブラハム」です。旧約聖書の『創世記』の登場人物である彼は最初の預言者であり、「信仰の父」とも呼ばれています。そんなアブラハムの波乱万丈な人生とはどうだったのか?
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アブラハムとメソポタミア文明の関連性の他にも、
といったようなメソポタミア文明と旧約聖書には類似した点がいくつもあるので、
旧約聖書の物語はメソポタミアをメインとした逸話では?
という説もあるようです。
そんなメソポタミア神話についてさらに詳しく知りたい方は、
『メソポタミア神話』の概要や歴史を簡単に解説してみた!
メソポタミア神話は人類にとって「最古」の宗教かもしれません。関暁夫のやりすぎ都市伝説でも、メソポタミア神話が取り上げられ話題となったんですよ!実はこの神話には、旧約聖書と似ている点がいくつもあるのを知っていますか?
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メソポタミア文明で発明されたもの
メソポタミア文明の暦は「太陰太陽暦」を使いました。
太陰太陽暦って何?
とそう疑問に思った方は、
太陰太陽暦とは?どういうものか特徴を簡単に解説してみた!
「太陰太陽暦」ってよく歴史の教科書で見かけるけど、この意味はよく分かってないんだよねぇ、と思ったことありませんか?暦(こよみ)の意味や歴史について、ホントよく分からない!という方には必見の記事ですよ。
こちらの記事を参考にしてみて下さい。
また、太陰太陽暦の暦と共に「占星術」も発達しました。
占星術についてさらに詳しく知りたい方は、
占星術とは?占星術の歴史や目的について詳しく解説!
皆さんも、占いの起源や歴史について詳しく知りたくないですか?占星術の種類(西洋占星術・インド占星術・東洋占星術)、現代の占いとしての占星術のあり方、他の学問との関わり合いについてこの記事では書いてます!
こちらの記事をお読み下さい。
ちなみに、計算方法である「六十進法」もメソポタミア文明で生まれたもので、現在の時間の単位にも用使われています。
六十進法についてさらに詳しく知りたい方は、
六十進法とは?メソポタミア文明の数学を分かりやすく解説!
なぜ六十進法は生まれたのか?六十進法とは数学の分野ですが、メソポタミア文明の歴史の流れに合わせて、六十進法を分かり易く解説しています。数字は苦手でも、歴史なら興味が持てるかも…という方はぜひ参考に!
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メソポタミア文明の楔形文字
文字は楔形文字を使用しました。
こんな文字ですね。
(出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cuneiform_script.jpg )
この言語が西アジア一帯で広まり、記録媒体では粘土板が使われました。
あの「目には目を、歯には歯を」の復讐法で有名なハンムラビ法典も、楔形文字で書かれたようですよ。
各都市に文書を扱う書記を養成するための学校が設立されましたが、識字能力はこの時代では特別なものでした。
一般市民や王侯貴族でさえも、文字の読み書きはほとんど出来ませんでした。
まれに識字能力を持った王が出現した場合、その能力を高めに評価した記録が残っているようです。
メソポタミア文明の交易経済
メソポタミアの資源は基本的に不足していました。
なので、周辺地域との交易は資源確保のためとても重要だったんですね。
交易範囲はとても広く、エジプト文明やインダス文明とも交易があったと考えられています。
この頃から、中東地域で有名なバザール(市場)での販売が行われていました。
バビロニアと古代ギリシアの市場制度は違ったために、
ギリシア人の市場ややこし!
とアケメネス朝ペルシアの初代王キュロス2世は理解せずそう非難していたそうな。
そんなキュロス2世について詳しく知りたい方は、
『キュロス2世』とは?アケメネス朝ペルシア初代国王の功績
キュロス2世はアケメネス朝ペルシアの初代国王です。彼の功績は古代エジプトを除く全ての古代オリエント諸国を統一し、大帝国を築いたことでした。そんなキュロス2世には、壮絶な過去や英雄としての逸話があった?!分かり易く解説しています!
こちらの記事をお読み下さい。
世界史の現役公立高校教師として初めて、YouTubeに世界史の授業動画を公開すると、たちまち人気になった先生がいます。
YouTuber「Historia Mundi」としても活躍していますが、そんな山崎先生が世界史についての本を出版しました。
世界史を体系的に分かり易く学びたい方は、
こちらの本もぜひ読んでみて下さい。
メソポタミア神話の謎については、都市伝説系YouTuberのナオキマンも取り上げている話題です。
そんな彼が、メソポタミア文明も取り上げた世界の都市伝説に関する本を出版しています。
もし気になる方は、こちらの書籍もぜひ読んでみて下さい。