古代オリンピックは、古代ギリシアのエーリス地方にあるオリュンピアで、4年に1回行われた競技会です。
当時としては最大級の競技会かつ祭典でした。
ギリシア語では、
- オリュンピア大祭
- オリュンピア祭典競技
とも呼ばれています。
そんな古代オリンピックについての歴史を簡単にまとめてみました。
現代のオリンピックとはどれだけ違ったのか?
それでは、一緒に見て行きましょう!
古代オリンピックの歴史
古代オリンピックは、
紀元前9世紀から紀元後4世紀
にかけて行われました。
そして、最も盛り上がっていた時にはギリシア各地から選手が参加し、合計3ヶ月ほどの休戦期間がありました。
なお、オリンピックは体育だけでなく、詩の競演も行われていたそうです。
古代オリンピックには、ギリシア人の血筋を持つ者しか参加出来ず、罪を犯した者は参加出来ませんでした。
また、ゼウスが男神であることから、オリンピックに女性は参加できませんでした。
おそらく、競技者が裸だったことが関係していたとも考えられています。
ただし、戦車競争では馬の運転手ではなく持ち主が表彰されたので、女性が表彰された例はわずかにあります。
オリンピック前の休戦期間
中期の古代オリンピックは、エーリス州のゼウスの神殿が建てられた競技場で開催されました。
オリンピック前の休戦期間についてまとめると、
- 大会開催中の1ヵ月間は休戦
- 参加都市国家が増えると3ヵ月延長
- オリュンピアに向かう競技者や観客の旅の安全保障
となります。
また、ゼウスは旅行者の守護神で
オリンピックへの旅の道は、ゼウス様によって加護されている
と考えられていました。
そんなゼウスは、ギリシャ神話の中で最高神とまで言われるほどの凄い神様です。
ゼウスについてさらに詳しく知りたい方は、
ギリシャ神話の最高神ゼウスとは?宇宙支配までのあらすじ
ギリシア神話の最高神ゼウス。 彼が最高神と言われるまでには、壮大な戦いの歴史がありました。 父クロノスに飲み込まれてしまった兄弟達。 彼らを助けられないかと考えたゼウスの策とは? 神々の戦いが今ここに…!
こちらの記事を参考にしてみて下さい。
この休戦期間のルールを破った国は、
- オリンピックへの参加拒否
- 他国から外交関係が絶たれる
ということもありました。
事実、スパルタはルールを破って休戦期間に他国を攻めた為、オリンピックに参加出来ませんでした。
オリンピックの競技ルール
初期の古代オリンピックでは、短距離走のみで1日が終了していました。
その後にだんだんと競技種目も増えて行き、紀元前472年には5日間の大競技会となっていました。
参加資格のある者は、健康な成年ギリシア人男性のみで、女性・子供・奴隷は参加できませんでした。
もし女性参加のルールを破った場合、崖から突き落とされるという超過激なルールがあったそう。
ですが、適用例はなかったそうです。
初期のオリンピックでは、エーリス王自らが
我が審判になろう
と行っていましたが、競技数が多くなるとエーリス市民からくじで選ばれるようになりました。
オリンピック期間中、選出された審判たちは「神官」として扱われました。
神官には女性も採用されていたようです。
審判たちはエーリスにある専門の施設で、
競技規則について、これから10ヶ月間勉強してもらいます
と専門家から教えを受けます。
その間に、各国から続々と選手が集まり、1ヶ月前になると選手たちと合宿練習をします。
そして、練習試合の間にまた規則の確認を行います。
この当時、さらに不正を防ぐために選手たちは全裸で競技をしたそうですよ。
古代オリンピック競技種目
古代オリンピックの競技種目には、以下のようなものがありました。
- 192メートル短距離走
- 中距離走
- 長距離走
- 五種競技(走幅跳、円盤投、短距離走、やり投、レスリング)
- 円盤投
- やり投
- レスリング
- ボクシング(拳闘)
- 格闘技
- 戦車競走
- 走り高跳び
最終種目は、192メートル往復「武装競走(盾を持つなど武装した陸上競技)」でした。
オリンピック勝利者の特典
オリンピックの勝者には、
- 勝利の枝とヘアバンド用リボンが両腕に巻かれる
- ゼウス神官からオリーブの冠が与えられる
- 自身の像を神域に残すことが許される
といったものが与えられました。
この神域に像を残すことに由来して、オリーブの冠を授かった勝利者は神と同席することを許された者として、
お前、すげぇじゃん!!
と故郷で盛大に迎え入れられたのです。
他にも、祖国の神殿に像が作られたり、税が免除された者もいました。
いずれにせよ、祖国の歴史に長く名が刻まれることは間違いありませんでした。
また、オリンピック競技会はゼウス神への最大の祭典でもありました。
なので、殺し合いは固く禁止され、格闘技で相手を殺してしまった勝者にはオリーブの冠は贈られませんでした。
逆に、勝者であればたとえ死者であっても冠は贈られました。
例えば、格闘技で相手が
降参!
と言ったと同時に倒れて死んだ勝者に対して、審判が冠を与えたという事例もあります。
マケドニア王国からの参加
マケドニア王国の人達はギリシア人であるにも関わらず、都市国家でない遠く離れた地域に住んでいました。
なので、古代オリンピックには参加していなかったのです。
しかし、アレクサンドロス1世は
我々の祖先はヘーラクレースだ!
とマケドニア王国の建国神話を主張した結果、
やれやれ、それじゃギリシア人と認めるよ
となり紀元前6~5世紀頃から古代オリンピックに参加出来るようになりました。
マケドニア王国の建国神話や歴史については、別記事でしっかりとまとめているので
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アレクサンドロス1世が主張したヘーラクレースはギリシャ神話の中の英雄です。
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アレクサンドロス1世は短距離走で同着1位となり、その結果決勝の再レースが行われました。
しかし、そこで負けてしまい、優勝者リストに彼の名前が入ることは結局ありませんでした。
ちなみに、あの有名なアレクサンドロス大王が「アレクサンドロス」と名付けられたのも、父ピリッポス2世が古代オリンピックで優勝した年に彼が生まれたのがきっかけです。
この優勝を記念して、マケドニア王初の古代オリンピック参加者「アレクサンドロス1世」から名前を取ったのです。
アレクサンドロス大王(3世)はオリンピックに敬意は示していたものの、参加することはありませんでした。
え、アレクサンドロス様は足がめちゃくちゃ速いじゃないですか!参加しましょうよ、オリンピックに!!
と侍従は言いましたが、
参加者が皆、王であるならば参加しよう
とアレクサンドロス大王は言い、結局参加しなかったとのことです。
そんなアレクサンドロス大王は、マケドニア王国の中の天才戦略家として有名です。
今でも彼の活躍は語り継がれるほどの超有名人です。
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女子競技「ヘーライア」
女性の競技に関しては、女子競技の部である「ヘーライア」という祭りが行われていた時代もあります。
このお祭りはゼウスの妃ヘーラーに捧げる祭りで、古代オリンピックと重ならない年に行われていた女子のみの祭典です。
そんなゼウスの妻ヘーラーに関する記事もあります。
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競技は短距離走のみで、右胸をはだけた衣服を着て行われていたとされています。
そして、現在の夏季五輪のメダルに浮き彫りにされた勝利の女神はこれを着用しています。
優勝した競技者には、
- オリーブの冠と犠牲獣の肉が分け与えらる
- 神域に自身の像を残す許可(実際は肖像を壁画に残す事が多かった)
といったものが与えられました。
その他のギリシア競技祭典
オリュンピアで行われる古代オリンピック(オリュンピア大祭)は、古代ギリシアにおける4大競技大祭の内の1つでした。
これらの競技大会をまとめてみると、
大祭名 | 開催地 | 開催年 | 祭神 |
---|---|---|---|
オリュンピア大祭 | オリュンピア | 4年に1度 | ゼウス |
ネメアー大祭 | ネメアー | 2年に1度 | ゼウス |
イストモス大祭 | イストモス(現イストミア) | 2年に1度 | ポセイドン |
ピューティア大祭 | デルポイ | 4年に1度 | アポロン |
このようになります。
これら4つの競技大祭のうち、大神であるゼウスに捧げられるオリュンピア大祭が最も盛大に行われました。
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