キリスト教の中にも、イスラム教のラマダーン(断食)と同じように節制、または断食を行う期間があります。
それが西方教会では「四旬節(しじゅんせつ)」と呼ばれます。
簡単に言えば、
大斎期間中は節度ある行動・食事をしましょう
といった内容です。
この記事では、四旬節の基本的な知識をご紹介して行きたいと思います。
復活祭(イースター)にも深い関わりのあるこの期間は、果たしてキリスト教徒たちにとってどんな意味があるのでしょうか?
四旬節の簡単まとめ
四旬節(しじゅんせつ)とは、カトリック教会などの西方教会で
復活祭の46日前の水曜日から復活祭前日(土曜日)
までの期間のことを指します。
四旬とは「40日」を意味しますが、イエスの復活を記念する喜びの日である日曜日を除いて40を数えます。
なので、46日前からとなります。
ん、復活祭ってなに?
と思った方は、
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簡単に復活祭を説明しますと、イエス・キリストの復活を祝うお祭りです。
四旬節は、復活祭前の1週間である「聖週間」を準備するものです。
聖週間では、ローマ帝国で起こったとされるイエスのエルサレム入城からその受難(苦しみ)と死までが記念されます。
四旬節はいつ始まる?
この四旬節は、キリスト教の中でも呼び方が違ってきます。
- 聖公会:大斎節
- プロテスタント(教派による):受難節
となります。
また、年によって一定ではありませんが、復活祭と四旬節の始まりも決まっています。
それをまとめると、
- 復活祭:3月22日から4月25日(いずれかの日曜日)
- 四旬節:2月4日から3月10日(いずれかの日)
このカトリック教会の四旬節は、正教会の「大斎(たいさい)」に相当します。
この大斎の始まりは、日曜日日没(教会暦は日没を1日の境目とするので月曜日)です。
東方教会の復活祭の日付は西方教会とは算出方法が違うので、大斎と四旬節は年によって1週から5週ほどのずれが生まれます。
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ちなみに、四旬節が始まる前に祝宴を行う「カーニバル(謝肉祭)」があります。
元々カーニバルは、キリスト教と無関係な異教の慣習に由来すると言われています。
ですが、いつの間にか四旬節前のどんちゃん騒ぎをする習慣として根付くことになったのです。
「マルディグラ」と呼ばれる祝いは特に有名です。
四旬節の由来とは?
旧約聖書の中で、「40」という数字は特別な準備期間を表す数字でした。
例えば、モーセは民を率いて40年荒野をさまよっています。
この内容は預言者モーセの『出エジプト記』にさらに詳しく書かれているので、
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他にも、ヨナはニネヴェの人々に
40日以内に改心しなければ街が滅びる
と予言しました。
この内容についてさらに詳しく知りたい方は、
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こちらの記事をお読み下さい。
イエスは公生涯を前に、40日間荒野で過ごし断食しました。
公生涯とは、イエスが30歳で荒野でサタンの誘惑に勝利し、ユダヤで公の活動を始めたことから始まり、十字架までの約3年半の期間を指します。
こういったキリスト教における事例から、四旬節の40日間はキリスト教徒にとってはイエスに従う意義ある準備期間となっています。
四旬節の起源とは?
四旬節の元々は、初代教会(教会の歴史上、初代のキリスト教会を指す)で復活祭前に行っていた「40時間」の断食でした。
復活徹夜祭には、成人の洗礼を行うのが初代教会の慣習で、洗礼を受けた人達も40時間の断食を行いました。
その後、この40時間が6日間に延び、さらに6週間の洗礼準備が行われるようになりました。
四旬節は先ほど書いたように、復活祭に洗礼を受ける修行者たちのための期間でした。
ところが、4世紀に入ってキリスト教が公認されると、洗礼者が急激に増え1人に対して十分な準備を行うのが困難となったのです。
このような状況に対処するために、
復活祭前の節制をみんなで行いましょう!
と全信徒に対して求めるようになりました。
これが四旬節の起源です。
四旬節の過ごし方
四旬節では、伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われます。
四旬節の節制とは、
- 祈り
- 断食
- 慈善
の3点を含めた悔い改めと理解されています。
現在の多くの西方教会の教派では、そのような伝統的な考え方を否定しません。
ですが、以下3つが四旬節の精神と教えられます。
- (神に対しての)祈り
- (自分自身に対しての)節制
- (他人に対する)慈善
現在でも、一部の信徒たちが娯楽の自粛や慈善活動への積極的な参加を行っています。
四旬節中に行われた食事の節制は、実践的な意味合いもありました。
と言うのも、昔は秋の収穫が春の初めには少なくなることが多かったのです。
なので、その時期は食事を質素なものにして乗り切らなければなりませんでした。
ちなみに、カトリック教会では四旬節中の金曜日に、イエスの受難を思い起こす儀式である「十字架の道行き」を行う習慣があります。
節制の意味(意義)
古代末期から中世にかけて、四旬節中に厳しい断食を行う習慣がありました。
肉はもちろんのこと卵・乳製品が禁じられ、1日1度しか十分な食事を摂ることが出来ませんでした。
現代では社会の変化により、西方教会ではそこまで厳しい節制は行われていません。
カトリック教会の四旬節中の節制についての教会法では、
対象となるのは18歳から60歳までの健康な信徒である
(教会法1251条)
基本的には1日1度十分な食事を摂り、あとの2回はわずかに抑えます。
それと同時に、
- 毎週金曜日
- 四旬節の初日である水曜日
- 復活祭前の金曜日
に摂取できる食品の制限(獣の肉や卵、乳製品の摂取を避ける)も行われます。
キリスト教徒にとって、四旬節の節制には
キリストの苦しみを分かち合いましょう
という意味があります。
キリスト教では、イエスの苦しみと死は人間の罪をつぐなうためと考えられてきました。
しかし、中世になるとその意味が忘れられ、
面倒臭いなぁ( ´Д`)=3 フゥ
としぶしぶ行う義務的な節制へとだんだんなって行きました。
なので、近代以降の西方教会では
節制は義務ではなく、自ら選び取りましょう
と強調するようになり、具体的には
- 自分が好きな食べ物を節制する
- 自分が好きな娯楽を自粛する
- 節制の代わりに慈善活動を行う
などといったことが行われるようになりました。
これに対して、東方教会は
西方の兄弟たちよ、精神性を重視し過ぎて形式を軽く見過ぎてはいないかね?
などの批判をしています。
さらに、大斎と四旬節が終わった後の「イースター(復活祭)」について詳しく知りたい方は、
これらの記事も併せてお読み下さい。
旧約・新約聖書のあらすじから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教までを1冊の本でまとめたものがあります。
聖書の基本から発展編まで、さらに深く知りたい方には持って来いの本なので、
気になる方は、こちらの本もぜひ読んでみて下さい。
参考:『四旬節』