世界史や日本史を勉強していると、「グレゴリオ暦」という暦法を一度は聞いたことあるのではないでしょうか?
グレゴリオ暦は今の西暦を形作っている暦法でもあります。
昔の話ではなく、なんと現代でも使われているのです。
そんなグレゴリオ暦は意外と歴史やイースター(復活祭)にも深く関わっていたりします。
この記事では、
これを読めば、グレゴリオ暦についてより理解が深まるはずです!
グレゴリオ暦とは?
ユリウス暦を改暦しよう!
とグレゴリオ暦はローマ教皇グレゴリウス13世がこのように命じたところから始まり、1582年10月15日から使われている暦法です。
ん、ユリウス暦って何?
と思った方はこちらの記事を参考にしてみて下さい。
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グレゴリオ暦は太陽暦として世界各地で使われています。
太陽暦って何??
と思った方はこちらの記事を参考にしてみて下さい。
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グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦(旧暦)に対して「新暦」と呼ばれる場合もあります。
また、年を数える紀年法はキリスト紀元(西暦)を使います。
グレゴリオ暦の計算
グレゴリオ暦の1年は365日としますが、400年間に97回の閏(うるう)年を置いて、その年を366日とします。
そのことにより400年間の1年の平均日数はこうなります。
365日+97/400(=0.2425)=365.2425日
この平均日数は、実際に地球が太陽の周りを1周する平均日数である平均太陽年(およそ365.242189日)と比べて26.821秒だけ長いです。
この数字はユリウス暦に比べると格段に精度が上がっています。
日本では1872年(ほぼ明治5年)に採用され、明治5年12月2日(旧暦)の翌日をこうしました。
明治6年1月1日(新暦)=グレゴリオ暦の1873年1月1日
なぜ日本でグレゴリオ暦が採用されたの?
と理由が気になる方は、
日本はなぜ明治6年からグレゴリオ暦の導入を採用したのか?
グレゴリオ暦は現在の「西暦」です。日本では西暦1872年に当たる明治5年に太陰暦から太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦しました。これが日本の明治改暦です。この記事では、日本で改暦後の影響や改暦した理由について分かり易く解説!
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新暦誕生の歴史まとめ
紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定されたユリウス暦は、キリスト教文化圏を中心に使用されていきました。
しかし、ユリウス暦の平均日数は実際の太陽年よりもずれがあり、毎年そのずれは蓄積されていきました。
この問題はユリウス暦を使っているローマ帝国にキリスト教が広まった時に発生しました。
新約聖書ではイエス・キリストの処刑と復活について、太陰太陽暦であるユダヤ暦を基準にして記述されています。
ん、太陰太陽暦?
とそう疑問に思った方は、
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過越祭のぷち歴史
イエス・キリストの処刑日については、それぞれ聖書で以下のように記されています。
ユダヤ教の過越(すぎこ)しの日の前日
(ヨハネによる福音書)
過越祭第1日目の同月15日
(共観福音書)
この過越しの日は春頃に来る太陰月で、メソポタミア文明の暦では伝統的に正月(新年)とされていました。
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復活祭の期日決定!
こんな状況でローマ帝国領に住むキリスト教徒たちは、
イエス様の復活祭はいつ祝えば良いのかな?
と悩みました。
この悩みに対して初期の教会では様々な方法が取られました。
ローマ帝国ではカエサルによるユリウス暦が採用されて間もない頃から、
春分日はユリウス暦3月25日でしょ!
という考え方が広まっていました。
そして、この日にイースター(復活祭)を祝ってしまう教会もありました。
その流れに従ってユリウス暦の太陽暦と太陰太陽暦を組み合わせたものを使って、第一次ニケーア会議(最初の全教会規模の会議)はイースター(復活祭)の期日を決めました。
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ユリウス暦のずれ
このような経緯で決められた復活祭日でしたが、キリスト教上の春分日をユリウス暦上に固定してしまいました。
なので、実際の天文学的春分日とユリウス暦上に定められた春分日(3月21日)との差は年を追うごとに蓄積されていきました。
これが復活祭の日の不正確さに直結することになり、まるまる1ヶ月遅れるケースもだんだんと増えていきました。
16世紀後半には、ユリウス暦上の春分日(3月21日)は実際の春分日から10日間弱ものずれが生じています。
そんなユリウス暦とグレゴリオ暦との間の計算のずれの差についてさらに詳しく知りたい方は、
ユリウス暦とグレゴリオ暦の計算のずれの差はどれだけ違う?
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グレゴリオ暦の採用
このように暦の計算のずれが生じたため、
改暦委員会さん、君たちに暦法改正を任せるよ
とローマ・カトリック教会は改暦委員会に改暦を委託しました。
この改暦は対抗宗教改革の一環として行われ、
賛成!反対!!
と改暦に関しては賛否両論の大きな論争となりました。
委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日に発布され、
年月日 | 曜日 | 適用の暦 |
---|---|---|
1582年10月04日 | 木曜日 | ユリウス暦 |
1582年10月15日 | 金曜日 | グレゴリオ暦 |
とすることを決めこの通りに実施されました。
ただし、この改暦を実施したのは、
- イタリア
- スペイン
- ポルトガル
などごく少数の国だけで、その他のヨーロッパの国々での導入は遅れました。
グレゴリオ暦の新年
グレゴリオ暦はキリスト紀元(西暦紀元)の年数に基づいて定めるものとして制定されています。
なので、グレゴリオ暦はキリスト紀元と密接な関係にあるのです。
キリスト紀元の正式名称は「主(イエス・キリスト)の受肉(受胎)から数えた年数」です。
こう考えると、キリスト紀元の新年はイエスが受胎した日(受胎告知日)の3月25日が正当となるはずです。
実際、改暦直前のローマ教皇庁は3月25日を年初とするユリウス暦を使用していました。
しかし、グレゴリオ暦はユリウス・カエサルがユリウス暦を制定した当時の新年(1月1日)をその年初とする方法を採用しました。
なので、グレゴリオ暦では常に1月1日にキリスト紀元年数が1つ増えます。
グレゴリオ暦の導入
ユリウス暦と太陽年(実際の季節)にはずれがありました。
このずれは13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが、
ユリウス暦ずれてるやん!
と指摘してから16世紀になって宗教上の問題が顕著になるまでの300年間放っとかれました。
このずれを修正し新しくグレゴリオ暦を制定した後も、それがローマ教皇による発令だったので、その導入時期は国や地域によってまちまちでした。
ですが、カトリックの国はわりと早く導入しました。
一方、そうではない国では宗派上の対立もあって、導入に少なくとも100年以上掛かっています。
その結果、正教会の多くは現在も改暦せずユリウス暦を使用し続けています。
キリスト教国ではない国は1873年の日本を初めとして、だんだんとグレゴリオ暦を導入する国家が増えていきました。
ここからは、グレゴリオ暦を導入したキリスト教国の特徴について紹介していきます。
カトリック
グレゴリオ暦を実施した1582年10月15日にすぐにこの暦を導入したのは、カトリック信仰の以下の国々です。
- イタリア
- スペイン
- ポルトガル
- ポーランド
フランスは2か月ほど遅れたものの、1582年中に導入しました。
1583年には神聖ローマ帝国のカトリック諸邦で、1584年にはスイスのカトリック諸州で導入されました。
プロテスタント
プロテスタント諸国は、グレゴリオ暦への改暦に消極的でした。
なぜなら、祭事であるイースター(復活祭)の日付を
カトリックが決めた暦によって決められるなんて…
と感じて改暦を嫌ったからです。
しかし、ユリウス暦の日付がずれており、
ずれた日付を基準にして祭日を決めるのは問題だな…
という認識はプロテスタントの宗教家たちも持っていました。
なので、グレゴリオ暦はプロテスタントにもだんだんと浸透して行きました。
グレゴリオ暦を最も早く導入したのは、ドイツのプロテスタント諸国でした。
復活祭の日付の計算には、プロテスタントのドイツ人天文学者ヨハネス・ケプラーが作成した星表を使っていましたが、
いや、グレゴリオ暦の方が優れてるでしょ
ということをケプラーは知っていたので、日付計算は全てグレゴリオ暦で行っていました。
このため、改良暦はグレゴリオ暦で計算するのとほぼ同じだったのです。
この妥協は上手く行き、
ドイツがそうしてるなら…
と周辺のプロテスタント諸国もだんだとこれに従い、最終的には全てのプロテスタント諸国がグレゴリオ暦を導入することになりました。
正教会
正教会が優勢な東欧では、導入までにより長い時間が掛かりました。
グレゴリオ暦を使用するフィンランド正教会を除いて、
- エルサレム総主教庁
- グルジア正教会
- ロシア正教会
- セルビア正教会
- 日本ハリストス正教会
を含む正教会は現在でもユリウス暦を使用しています。
その証拠にロシアでは革命の月がグレゴリオ暦のとは違います。
- 2月革命:1917年グレゴリオ暦3月に起きた革命
- 10月革命:1917年グレゴリオ暦11月に起きた革命
なぜなら、ロシア革命が起きた1918年までユリウス暦をロシアは使用していたからです。
現在ロシア国内では、正教会を除きグレゴリオ暦を使用しています。
なので、ユリウス暦12月25日の降誕祭(クリスマス)はロシアのカレンダーでは「1月7日」と表示されています。
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参考:『グレゴリオ暦』
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