古代ギリシアで栄えていた文明が突如として途絶えた期間。
それが古代ギリシアの「暗黒時代」と呼ばれます。
この期間が「暗黒時代」と呼ばれるだけあって、
古代ギリシャの人達は暗い人生を送ってたんじゃないの?
と思う方もいるでしょう。
ですが、古代ギリシャ人にとって暗黒時代の生活は意外と明るかったのかも?
世界史ではあまり触れられないそんな暗黒時代に、一体どんな事があったのでしょうか?
「暗黒時代」とは?
暗黒時代とは古代ギリシアの
紀元前1200年から紀元前700年頃まで
の間における文字資料に乏しい時代のことを言います。
ミケーネ文明と前古典期(アーカイック期)の間にあたります。
ミケーネ文明とは暗黒時代の前に栄えていた古代ギリシアの文明です。
ミケーネ文明の他にも、暗黒時代以前の古代ギリシアにはエーゲやミノアという文明が栄えていました。
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古代ギリシアの暗黒時代はたしかにそれ以前やそれ以後の時代と比べて低調な時代ではありました。
しかし、本当の意味での「暗黒」の時代だった訳ではなかったので、
暗黒時代と呼ぶなんて不適切だ!
という学者もいました。
なので、最近では「初期鉄器時代」と呼ぶことが一般化しつつあります。
暗黒時代に何があった?
地中海東部を取り巻いた大規模な社会変動「前1200年のカタストロフ」は、以下の出来事を引き起こしていきます。
- ミケーネ文明の崩壊
- ヒッタイトの崩壊
- エジプト新王国の衰退
それまで使われていた文字「線文字B」は使用されなくなって文字資料が乏しくなりました。
また、経済システムは崩壊し、物資の貯蔵に使われていた大規模建築物も消滅しました。
このカタストロフの到来によりミケーネで巨石を使った巨大な宮殿は姿を消し、
- 金銀で作られた器
- 象牙(ぞうげ)細工
など豊かさの尺度となるものも同じように姿を消しました。
その後、ミケーネでは粗末な集落のみが存在し、それまでに形成された陶器の技術も失われることになりました。
この状況はギリシャ人とフェニキア人が接触することにより、アルファベットが成立して普及するまで続きます。
カタストロフが起きた謎
このカタストロフには様々な解釈がされていて、まとめると以下になります。
- ドーリア人の侵入によるもの
- 地震による崩壊によるもの
- そもそも暗黒時代を疑問視
ミケーネ文明の崩壊の原因は未だ論争されていますが、
海から到来した略奪者のために崩壊したのでは?
とする説が現在では主流なようです。
また、宮殿は破壊された上に火を放たれていて、これらの破壊活動は北から南へと進んでいます。
しかし、この状況を予測していたと考えられる跡も残っていて、
- ミケーネ
- ティリュンス
- アテナイ
では給水設備が設置されていました。
包囲攻撃が来るに違いない…!
と人々が予想していたとも考えられています。
ミケーネ文明は「前1200年のカタストロフ」で一瞬に崩壊した訳ではありません。
極めて緩やかに衰退していったので、文化の要素は次世代へと受け継がれ、ミケーネ文化を担ったと思われる人々はエーゲ海に拡散して行きました。
ここからは、カタストロフの原因とされている説について解説していきます。
ドーリア人の侵入
ドーリア人の侵入による説では、「海の民」による移動に伴いドーリア人がギリシャに至って、その周辺の地域に住んだことによりミケーネ文明が崩壊したとしています。
また、古代ギリシャの文献によれば
ヘラクレスの子孫であるドーリア人らが、正統な継承者を主張して南下した
と言及されています。
ヘラクレスはディズニー映画にもなるほどのギリシャ神話の有名人です。
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また、この内容は同じようにヘロドトスの『歴史』やトゥキディデスの『歴史』にも記載されています。
ヘロドトスとトゥキディデスによる著書はこの時代を知る上で最も重要な歴史認識となっています。
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カタストロフの諸説
このような歴史文献の記述により、
ドーリア人の侵入により鉄がギリシャに持ち込まれ、器具や武器に革新がもたらされ、さらに土器の様式、葬制の変化(土葬から火葬へ、複葬から個葬へ)などが生まれた
とされていました。
しかし、この「海の民」についての研究が進み、人口の大移動が発生したことから
カタストロフは本当に発生したのか?もしかしたらドーリア人の侵入すら存在しなかったのではないか?
と疑問視される説まで存在します。
海の民の襲撃やドーリア人の移動によりミケーネ文化が崩壊した
とする説はだんだんと支持を失いつつあり、
環境の悪化、地震、気候変動による飢饉、社会動乱などによるものでは?
という説を支持する声もありますが、全面的な支持を得ている訳ではありません。
ただし、何らかの原因により宮殿を中心として維持されていた管理経済システムが崩壊し、ミケーネ文明が崩壊したことはほとんどの学者が認めています。
そこ至るまでの過程についての異論は多く、現在でも活発な議論が行われています。
暗黒時代を疑問視
暗黒時代の次は「古典期」になりますが、その時代に聖域とされる場所はミケーネ時代後期から末期にかけて使用されていたことが発見されています。
これらの発見などから暗黒時代という期間を取り除けば、ミケーネ時代から鉄器時代への連続性を認めることが出来ます。
暗黒時代は人間活動が少なかった期間で、古代ギリシアが低調になったのは
土壌流出や気候変化に人口過剰が伴ったことによるものである
という解釈も成り立ちます。
暗黒時代を経たにも関わらず、文化が復興する時にはミケーネ的な文化が復活しているので、
ミケーネ時代と古典期の時期を近付けることにより合理的な説明ができる
とある学者は言っています。
本当に暗黒時代だった?
古代ギリシャ人が暗黒時代により失ったものもある反面、ギリシャには鉄器がもたらされました。
そして、土器も柄こそ華やかではなかったですが、その種類は増加していました。
紀元前11世紀末にはギリシャも復興して交流が活発化し、人口も増加したと考えられています。
その証拠に交流をしていたと思われる文章や出土品が次々に発見されています。
そんな古代ギリシアの暗黒時代は本当に「暗黒」だったのでしょうか?
暗黒時代でも栄えた交流活動
紀元前11世紀末にはギリシャも復興して交流が活発化し、人口も増加したと考えられています。
例えば、ギリシャが東方と交流していたと見られるアルファベットを使用したギリシャ語文章が発見されたりもしています。
さらに、前8世紀になると
- ギリシャ本土
- エーゲ海
- 小アジア西部沿岸
にギリシャ人が定住して、オリュンピアなどの聖域では中東との交流が行なわれていたと思われる出土品が発見されています。
ミケーネ文明崩壊後、キプロス島にはギリシャ人たちが移民していました。
そんなキプロス島の南部にはフェニキア人たちが入植しました。
多くの入植者がいたこともあり、キプロス島はギリシャの初期交易の拠点となっています。
この交易は拡大し、様々な地域でその跡が発見されています。
暗黒時代へのそもそもの疑い
このように、一時期は低調だった人間活動もだんだんと回復しています。
この暗黒時代は文字資料が存在せず、その時代背景が不明なためにそう呼ばれている側面があります。
以前の宮殿を中心とする官僚主義のシステムが崩壊し、ばらばらになった農業集落に変わったのでは?
という意見もあるため、
経済システムの崩壊により、使用されていた文字(線文字B)も不必要なものとして無くなったのだろう
と考えられています。
さらに、以前までは農耕中心の生活だったのが牧畜中心の生活に変化しました。
そのために、定住地が減少してミケーネ時代の石造りの建物が朽ちやすい木造のものに変化したのです。
だからこそ、大規模な集落跡が発見されないのかも…
という可能性もあります。
また、人口が一時的に減少したと言っても、アテナイのようなその後に要な地位を占める事になるポリス(都市国家)がミケーネ時代から継続して居住しています。
ミケーネ時代の宮殿中心の社会→ポリスを中心とする社会へと移る準備期間
であったとも暗黒時代は言えます。
ヒッタイトの鉄器文化の輸入
前12世紀まで鉄の製造方法については、ヒッタイトのみが所有し知っていました。
そのため、ヒッタイトと一部の人々(ペリシテ人など)しか鉄器を持つことは出来なかったのですが、前1200年のカタストロフによってヒッタイトが崩壊します。
すると、ヒッタイトの持っていた鉄器文化が世界へ広がることとなったのです。
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ただし、この鉄器はすぐに世界中に広がった訳ではなく、ギリシャに鉄器と思われる「黒い金属」が登場したのは前13世紀末です。
ちなみに、前8世紀のパトロクロスの弔い合戦の恩賞としてアキレスが得たものは鉄の玉でした。
そんな古代ギリシャの暗黒時代はどのようにして終わったのでしょうか?
暗黒時代のその後
紀元前8世紀に暗黒時代は、ホメロス叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』が成立すると共に終わりを迎えます。
この叙事詩の内容が、暗黒時代を含んでいるかどうかについては未だ議論が続いています。
しかし、この叙事詩の成立は『前8世紀のルネサンス』と呼ばれるギリシャ文明における決定的な分岐点でした。
紀元前8世紀以降になると、暗黒時代を通して受け継がれていたミケーネ文明の要素が再び登場することとなります。
ここからは、古代ギリシャの暗黒時代がどう終わっていったのかを詳しく解説していきます。
フェニキア人との交流
フェニキアのいくつかの都市は、青銅器時代後期にエジプトと活発な交易を結んでいました。
その後、地中海東部を取り巻いた大規模な社会変動「前1200年のカタストロフ」があった中、フェニキアのいくつかの都市は早期に復活しています。
例えば、交易を復興させたり、フェニキア人による「カルタゴ」という国家を建設したりしています。
前9世紀にはキプロスのキティオン(現在のラルナカ)に植民都市を築いた中で、キプロスに植民していたギリシャ人たちと交流を持つことになりました。
その証拠に、キティオンにはギリシャの女神アプロディーテーを祀っていた神殿があったのですが、それがフェニキア人の神アシュタルテ(ギリシャ神話のアプロディーテーに相当)を祀る神殿として使われました。
アプロディーテーって、そんなに凄い女神だったの?
という方もいるでしょう。
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アルファベットの成立
このようにフェニキア人たちが地中海に交易ルートを確立させると、海外進出を再開しつつあったギリシャ人たちは、
よろしくね!
とフェニキア人たちと交流をもつことになっていきます。
この交流での最大の賜物はアルファベットの成立でした。
そのアルファベットの成立過程についてはいくつかの説があり、それらをまとめてみると以下になります。
- 単純に商業活動のため
- ホメロスの叙情詩の流行との関係
- その叙情詩を文字で固定するために発明
その過程がどうであれ、
- ホメロスの叙事詩
- ヘシオドスの「仕事と日」
などが文字化されることになるのです。
さらに、フェニキア人たちとの交流はギリシャ人たちに、
我々はギリシャ人である
という意識を芽生えさせるきっかけにもなりました。
ポリス成立のきっかけ
暗黒時代以前までの文字は、宮殿の書記や貴族層など一部の人々にしか使う事が出来ませんでした。
しかし、それが誰でも自由に使えるようになりました。
そのことにより、それまで一部のエリート層たちに独占されていた法律が、
むぅ、思うままに法律を利用できない…
とエリート層たちの頭を悩ますほど整備されました。
そして、各地に立法家が生まれ、ポリス(都市国家)の法律整備を開始することになります。
それまで官僚が集まる支配者のための宮殿も、神々が住む宮殿へと変貌を遂げることになります。
そのため、宮殿を中心とした社会から広場(アゴラ)を中心とした社会へと変化し、これがポリス成立へのきっかけへと繋がることになるのです。
古代ギリシア文明の時代
紀元前776年にギリシャでは初めて文字が使用されました。
また、この年はギリシャ人たちにとって
初めてオリンピックが開催された年じゃん!
という認識でもあります。
古代ギリシアの文献の多くはこの年を基準にしていて、紀元前776年がギリシャの先史時代の終わりであり有史時代の始まりとなっているのです。
また、前8世紀以降に以下の事実が発掘から分かっています。
- 急激な人口増加
- 牧畜から農業への転換
- 各地の聖域が成立
その他にも、貴族層の都市部への移住によりポリスが形成されたことがホメロスの叙事詩によって分かっています。
そして、このポリスを基盤とする古代ギリシア文明がその後に栄えることになるのです。
その後の古代ギリシア文明の歴史も含めた、古代ギリシアの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、
古代ギリシャとは?〇つの歴史ポイントを簡単にまとめてみた
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参考:『暗黒時代 (古代ギリシア)』
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