世界史を勉強していると必ず出てくるアレクサンドロス大王。
とにかく強くて、領土をめちゃくちゃ広げた偉大な人物!
というイメージがありますが、
彼は一体どのような人物だったのでしょうか?
そんなアレクサンドロス大王についてのエピソードをいくつかご紹介できたらと思います。
負け知らずのアレキサンドロス大王
アレクサンドロス大王と戦はきってもきれない関係です。
彼は20歳で王位を継ぐと、東方遠征に精を出し、ギリシャからインド北西までを治めたとされています。
歴史上において最も成功した軍事指揮官であったと言えます。
このアレクサンドロス大王の何が凄いって、戦いで一度も負けたことがなかったというところです。
負け知らずの武将なんです。
負け知らずって、どうせ楽勝な戦しかしなかったんでしょ?
と思っているそこのあなた!
アレクサンドロス大王の戦の中には圧倒的に不利な戦いもありました。
例えば大量のペルシア軍と戦ったガウガメラの戦いでは、
- アレクサンドロス軍:およそ4万7千
- ペルシア軍:およそ20万~30万
なんて戦いもありました。
そんな圧倒的不利な戦いで勝利した、イッソスとアルベラ(ガウガメラ)の戦いについて詳しく知りたい方は、
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不利な戦いであってもとにかく強かった、それがアレクサンドロス大王なのです。
しかも軍師としてだけではなく、戦士としても有能だったのがこのアレクサンドロス大王で、彼は常に最前線で将兵と共に戦っていて、自らの頭や胸に重傷を負うこともあったとか。
つまり、アレクサンドロス大王はとてつもなく強く、戦に行けば絶対に負けない最強の英雄であり、兵士たちからも絶大な人気を得ていたのです。
最強の血筋を持つアレキサンドロス大王
アレクサンドロス大王と言えば軍人とのしてのイメージが強いですが、彼の血筋もまた凄いのです。
アレクサンドロス大王は父ピリッポス2世と母オリュンピアスの間に生まれました。
父親の家系はヘラクレスを祖とする家系であり、母親の家系はアキレウスを祖に持つ家系でした。
ヘラクレス・アキレウスは共にギリシャ神話の中で最大の栄光を持つ英雄であり、その血を引いているアレクサンドロス大王の家系的栄誉はギリシアの中でもトップクラスだったようです。
尊敬する家庭教師はアリストテレス
実はアレクサンドロス大王には家庭教師がいました。
それが何を隠そうあの偉大な哲学者アリストテレスなのです。
アレクサンドロス大王が13歳の頃から16歳の頃までこの師弟関係は続きました。
そしてアリストテレスが「ミエザ学園」の中でアレクサンドロス大王に様々な教えを説いたそうです。
アレクサンドロス大王は後に
ピリッポス2世から生を受けたが、高貴に生きることはアリストテレスから学んだ
彼はとてもアリストテレスを尊敬しており、またそこで共に学んだ「学友」が後にアレクサンドロス大王を支える「将軍」へとなっていったのです。
アレクサンドロス大王とアリストテレスの交友は長く続き、アレクサンドロス大王が各国で見つけた動物や植物をアリストテレスに送り、アリストテレスはそれらを観察し、研究し続けました。
しかし、アレクサンドロス大王は32歳という若さでこの世を去ってしまい、その後帝国の政情が不安定になります。
アリストテレスは母親の故郷である島に身を寄せますが、アレクサンドロスが死んだ翌年に彼もまた亡くなりました。
62歳で亡くなり、死因は病に倒れたまたは毒人参をあおったという説もあります。
弟子の死を追うように師が亡くなる。
なんとなく運命のようなものを感じてしまいますね。
アレクサンドロス大王の死因
アレクサンドロス大王は32歳の時にバビロンにて蜂に刺され、ある夜の祝宴中に倒れたとされています。
10日間高熱に浮かされて最期に
最強の者が帝国を継承せよ
との言葉を残し亡くなりました。
また、アレクサンドロス大王の死因については他にも
- 毒殺説
- 熱病(マラリア)説
- お酒の飲み過ぎ
という説など色々とあります。
アレクサンドロス大王とディオゲネス
最後にアレクサンドロス大王とディオゲネスという哲学者とのやりとりのお話を紹介したいと思います。
このディオゲネスというのが、まぁ変わり者でして犬儒学派という思想を持っているのですが、犬のように乞食生活をしていたそうです。
ある時、アレクサンドロス大王がディオゲネスを訪ねた時、彼は日向ぼっこをしていました。
そんなディオゲネスにアレクサンドロス大王は
あなたが望むものがあれば全て叶えましょう。何か希望はありませんか?
と聞くと、ディオゲネスはただ
あなたがそこに立たれると日陰になるからどいてください
と言ったのです。
後にアレクサンドロス大王は
私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい
と言ったそうです。
地位や名誉を全て手にしているアレクサンドロスと何も手にしていないけれど自由を手にしているディオゲネスの対比がとても好きな逸話です。
さらにアレクサンドロス大王について詳しく知りたい方は、
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また、アレクサンドロス大王の生まれ故郷は、マケドニア王国です。
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参考:『アレクサンドロス3世』
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