古代中国春秋時代の覇者として知られる斉(せい)の桓公(かんこう)。
彼の人生とは一体どのようなものだったのでしょう。
なかなか波乱万丈な彼の人生に着目してみました。
ヤバすぎる兄、襄公
斉の桓公は即位前は小白(こはく)という名前でした。
小白には兄が二人いました。襄公(じょうこう)と公子糾(こうしきゅう)です。
この襄公という兄がかなり異常な性格の持ち主だったようで、実の妹である文姜(ぶんきょう)と恋愛関係を持っていたようです。
文姜が魯(ろ)の桓公に嫁ぎ、子どもを産んでもその関係は続けていたというので驚きです。
しかし、それが夫である魯の桓公にばれてしまい、
ふざけんなー!
と文姜は怒られてしまいます。
普通な反応ですね。
しかし、文姜がこのことを襄公にチクるのです。
ちょっと兄さん、私たちの関係が夫にばれて、マジでピンチなんだけど
文姜から状況を聞いた襄公は部下に魯の桓公を殺させます。
襄公さんあまりにもひどすぎませんか?何殺してるんですか?
魯から問いただされると襄公は開き直ります。
俺が殺したんじゃない。俺の部下が勝手に殺しただけだ。だから、俺は今からその部下を殺す!
もう無茶苦茶です。
このこと以外でも襄公は気に入らない人間がいれば殺したため斉国内は混乱していきます。
襄公から逃げる小白
こんな無茶苦茶な兄の襄公の側にいるといつ殺されるか分かりません。
そこで小白は鮑叔(ほうしゅく)を連れて莒(きょ)へ、公子糾は管仲(かんちゅう)を連れて魯(ろ)へとそれぞれ亡命しました。
襄公はその後、従妹の公孫無知(こうそんむち)に暗殺されてしまいます。
そして公孫無知が国政を取り仕切ろうとしますが、彼もまたすぐに暗殺されてしまいます。
この公孫無知亡きあと、跡取り争いとして小白と公子糾が対立することになるのです。
小白、管仲に殺されかける
小白と公子糾との対立が激化している中、公子糾の腹心であった管仲が小白の暗殺を企てます。
私が小白を弓で殺そう
管仲の弓は小白のお腹に当たり、小白は倒れます。
けれど、矢は腰帯の留金に当たっており、小白の命に別状はありませんでした。
しかし、倒れながら小白は思いました。
これは死んだふりをするチャンスかも…!
小白はそのまま死んだふりを続け、管仲から逃げるため馬車を走らせ、次の宿場で部下に棺桶を用意させます。
そして莒の兵を国へ返らせるなどの自らの死を偽装します。
小白は死んだ!これは公子糾様に報告できるぞ!
完全に小白が死んだものだと思った管仲はそのことを公子糾に報告。
気が緩んだ公子糾はゆっくりと斉に入りました。
しかしそこには待ち構えていた小白がいました。
残念だったね、兄さん
小白は完全に公子糾を打ち破りました。
小白、桓公となる
公子糾を打ち破り、斉公の位に就いた小白は桓公と名乗るようになります。
桓公は魯にいた管仲を引き渡すように命じます。
最初は自分を殺そうとした管仲を公子糾ともども殺そうとしていた桓公ですが、桓公の腹心かつ管仲の親友である鮑叔(ほうしゅく)に
あなたが斉の君主であるだけでよいならば、この私でも宰相が務まりましょう。しかし、あなたが天下の覇者になりたいと思われるならば宰相は管仲でなければなりません
と言われ、考えを改めます。
こうして魯から管仲を引き抜き、彼を宰相としました。
管仲は名宰相として存分に活躍します。
管仲の活躍は別記事にてご紹介していますので、よろしければどうぞご覧ください。
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桓公の死
国政の要であった宰相の管仲が亡くなると、桓公は国政を顧みることがなくなりました。
そして管仲が死ぬ間際に
あの三人だけは絶対にお側に置いてはいけません
と言われていた人物を三貴として重要なポストに置いてしまい、国が乱れます。
桓公は病床につくとこの三貴によって病室に閉じ込められ、そのまま食料すら与えられず餓死したと言われています。
67日間、納棺も埋葬もされる事がなく、そのため扉からはウジが這い出していたようです。
覇者とも言われた斉の桓公の死はあまりにも悲惨なものだったようです…。
参考:桓公 (斉)
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