皆さんは『鳴かず飛ばず』の本当の意味と由来をご存知でしょうか?
現在では長い間ぱっとしないことを意味するようになっていますが、本来の意味はじっと機会を待つ状態のことを言います。
この『鳴かず飛ばす』の由来になった人物が楚(そ)の名君である荘王(そうおう)です。
荘王は一体どんな人物だったのでしょうか?
さっそく見て行きましょう。
荘王、拉致される
荘王の父が亡くなったため、即位した荘王でしたが、即位時はとても若かったと言われています。
そのため国内で謀反がおき、荘王は一度拉致されています。
結局、謀反者は捕まり、荘王は国内に戻ることが出来ましたが、それ以降彼は政治を全く顧みることはありませんでした。
荘王はこう言います。
これからは毎日宴会をするぞ。そして私の言うことを聞かないものはすぐに殺すのでそのつもりで
家臣たちは呆れかえっていましたが、何か言うと殺されてしまうので、何も出来ずにただひっそりと見守っていました。
荘王、遊びまくる?
しかし、そんな生活を始めて三年目にとある家臣が荘王に言いました。
謎かけをしたいと思います。ある鳥が三年間、全く飛ぶこともなく、鳴くこともありませんでした。この鳥の名前は何と言うでしょうか?
荘王は答えます。
その鳥は飛び立つ時は天まで届くだろうし、一度鳴けば人々を驚かせることができよう。そなたの言いたいことは解っている。下がれ
この問答後も、荘王の遊びは止まりませんでした。
すると家臣の一人が見るに見かねたのか荘王に注意をしました。
王、もう限界です!そのようなことはお止めください!
そなた、私に注意するとはよい度胸よな。その命、惜しくはないのか
すると家臣は続けます。
私の命で我が君の目を覚まさせることができるのならば、本望です
そうか…
荘王はしばらく考えたあと、とある真実を家臣に告げます。
よろしい。では、これからは馬鹿なフリはもう止めることにしよう
馬鹿な…フリ?
家臣は目を丸くします。
さよう。この三年間の演技のおかげで、色んな家臣の本音が見れたわい。悪臣を数百人殺すことも出来れば、能力のあるやつを数百人雇うことも出来た。しかし、もうこの演技もいいだろう。これから、私と一緒に国を建て直してくれないか?
はい!もちろんです!
こうして荘王は優秀な家臣に国政を任せていきました。
国民の人気もあり、国力は大きく増大する名君主として讃えられるようになったのです。
以上のエピソードから『鳴かず飛ばず』(じっと機会を待つ状態のこと)という成句も誕生しました。
名君としての荘王
こうしておバカなフリを止めた荘王ですが、彼は一体どのような王だったのか。
二つのエピソードをご紹介したいと思います。
絶纓(ぜつえい)の会
荘王はある夜、家来たちを宴に招きました。
皆、それぞれ心ゆくまで楽しんでいました。
宴も終盤に差しかかった頃、ろうそくの火が風に吹き消され、部屋が真っ暗になりました。
その時、荘王の家来の一人が荘王の后にキスをしました。
后はすぐさま、その家来の纓(冠のヒモ)を引きちぎりました。
そしてすぐに荘王にそれをチクりました。
私に無礼を働いた者が、この中にいます。私はその者の纓を引きちぎったので、明かりがついたらすぐに誰がやったのか分かります
しかし、荘王は犯人さがしをしようとはしませんでした。
今しがた、私の妻がつまらぬ事を申した。わたしは皆に楽しくくつろいでもらい大変嬉しい。ここは無礼講である、皆、明かりがつかぬ間にそれぞれの纓を引きちぎれ
荘王がそう言ったので、家来は皆、自分の纓を引きちぎりました。
そして、その後。
楚が秦(しん)との戦いで満身創痍ながら大手柄をあげた者がいました。
荘王は息も絶え絶えのその者に声をかけました。
よくやってくれた。だが、私はお前をそこまで大事にした覚えはないのに、何故、命を惜しまずにここまでやってくれたのか?
するとその者は言いました。
いいえ。あなたは私を救ってくださいました。私は絶纓の会の時に后様の唇にいたずらをした者でございます。あの時の王の計らいで、私は恥を晒さずに済みました。このような形で恩を返せて幸せでございます
そう微笑みながら死んでいきました。
このエピソードは女に溺れてしまいがちな中国君主の中においても、寛容かつ女に迷わない立派な君主としての荘王を表しているエピソードです。
武とは
荘王の人柄を表すエピソードのもう一つは戦いに関するエピソードです。
楚が大勝した後、家来たちが京観(討ち取った敵兵士の遺体を使ってつくる戦勝のモニュメント)を作ることを勧めましたが、荘王はそれを却下しました。
その理由がかっこいいのです。
『武』という文字は『戈(ほこ)』を『止』めると書く。戦を止め、民を安じ、財を豊かにするためのものである。私がしたことは武徳にあてはまらない。その上で祖国に忠誠を尽くした敵兵の遺体を使って京観を作る事はできない
とのことです。
ちなみに実際の『武』の原義は『戈』と『止(あし)」から成り立っており、つまり「戈を進める」が原義なのです。
この逸話は後世の創作と呼ばれていますが、それにしても素敵なお話だと思います。
参考:荘王 (楚)
コメントを投稿