『ソクラテスの弁明』はソクラテスの弟子であるプラトンが著した初期の対話編(複数の人間の対話形式で描かれる文学)です。
この『ソクラテスの弁明』で描かれていることは一体なんなのか?
分かりやすくざっくりご紹介していきたいと思います。
『ソクラテスの弁明』の背景
『ソクラテスの弁明』の舞台は裁判所です。
ソクラテスは
青年を腐敗させ、国家の信じる神々を信じず、新しき神霊を信じる
という罪で訴えられていたのです。
この訴えられる経緯等は別記事にまとめさせていただきました。
ソクラテスとはどんな人?何をしたのか生涯をまとめてみた!
古代ギリシアのアテナイの偉大な哲学者であったソクラテス。彼が説いたことは一体なんだったのか?そして、なぜ彼は死刑で死ななければならなかったのか?小説風のストーリーにして簡単に分かりやすく内容を解説してみました!
なので、まずはこちらの記事をご覧いただけたらと思います。
『ソクラテスの弁明』とは裁判に訴えられたソクラテスが無罪を主張するために行った答弁なのです。
裁判はまず有罪か無罪かを決める裁決を行い、その後刑量の裁決が行われます。
『ソクラテスの弁明』の内容
『ソクラテスの弁明』の内容のあらすじをここからは分かり易く解説して行きます。
果たして、ソクラテスが有罪となり死刑になるまでにはどのような経緯があったのでしょうか?
導入・裁判に至るまでの経緯
まずはソクラテスがなぜ訴えられることになったのかの経緯を語っています。
そこには神託所で『ソクラテスが最も賢い』との啓示を受けたこと、そして様々な人と対話を行ったことなどのエピソードが話されます。
ここまでの詳細は上記にある別記事にてまとめているのでここでは割愛させていただきます。
メレトスとの質疑応答
ここではソクラテスを告発したメレトスとのやりとりが書かれています。
ソクラテスはまず訴状の内容である「青年を腐敗させ、国家の信じる神々を信じず、新しき神霊を信じる」の「青年を腐敗させ」の部分から検証しています。
ソクラテスは裁判の中でメレトスに尋ねます。
メレトスはそもそも青年を教え導くことなんて興味がないのに、なぜさも自分が熱心であるかのように装っているのですか?
何を言っているんですか?青年を指導することは法律で決まっているじゃないですか。あなた以外のアテナイの国民は皆それを守っているのです
当時のアテナイには成人男性が青少年の教育を行うことは暗黙に認められた市民の義務でした。
それにソクラテスは反論します。
馬だって調教師というプロを使って教育しているのです。青少年の教育だってその道に長けた者によって行われるべきです。あなたが言っていることはただ教育の無関心の表れにすぎません
もし本当に私が青少年を腐敗させているのであれば、私を正せばいいだけの話なのです。それもしないで裁判をしているということは、ただ私を処罰したいだけなのでしょう
ソクラテスの言葉により、メレトスの青年指導に対する無関心は明白になりました。
そして、議題は次の「国家の信じる神々を信じず、新しき神霊を信じる」に移りました。
メレトスは言います。
あなたはアテナイが認める神ではなく、他の新しい神霊を青年たちに教えることで彼らを腐敗させています
それは私がアテナイ以外の神々を信じているということなのか、私が無神論者ということなのか、どちらですか?
あなたは無神論者です。太陽を石だと言ったり、月を土だと言ったりしているじゃないですか
あなたが言っているのは私ではなくアナクサゴラスという別の哲学者の主張です。そんなことも分かっていないだなんて、あなたこそ無神論者じゃないですか
それに私は神霊の声を聞いたことがあるんですよ。そんな私が無神論者になれる訳がない
この『メレトスとの質疑応答』の部分はソクラテスが多くの人としてきたであろう議論の様子がとてもよく分かる部分です。
前半部分は教育について、後半部分は宗教についてですね。
教育について、ソクラテスの「一般大衆の意見よりも、一部の専門家の意見が尊重されるべき」という考え方は、『ソクラテスの弁明』の続編である『クリトン』でもしばしば見られます。
『クリトン』について別の記事でもご紹介していますので、よろしければご覧ください。
『クリトン』の要約!ソクラテスの考える善く生きるとは?
死刑判決を受けたギリシアの偉大な哲学者ソクラテスに脱獄を勧めるクリトン。死刑執行を待つ間、そんな彼にソクラテスが語った内容とは?ソクラテスの弟子プラトンが書いた『クリトン』を分かりやすく要約!
それにしても後半部分の宗教についてのところはメレトスの準備不足感がハンパないですね。
こんなことを言っていいのか分かりませんが、ソクラテスの揚げ足のとり方が本当にうまい。
最終弁論
最終弁論では判決前にソクラテスが陪審員に訴える独白になっています。
私が恐れていてるのはメレトスを含む告発者ではありません。私が本当に恐れているのは大衆の誹謗中傷です。きっとそれはこれからも続いていくのでしょう
自分の行っていることを大衆に非難され、死の危険に晒されるようなことであっても、決してそれを止めてはいけません
なぜなら、それが神から与えられた持ち場だからです。死を恐れてそれを放棄するということは神を否定することになり、それこそ神への不信になってしまうのです
また、死を理解している人間など誰もいません。つまり、死を恐れること自体、賢人を気取ることになるのです。なので、もしこの裁判で私が死罪にならず釈放されても、私は自分の姿勢を決して変えません
私は人ではなく、神に従います
私がここで弁明しているのは陪審員のため、そして私のような人物を失ってしまうことがないように弁明しているのです
皆さん考えてみてください
私は長年、家庭を顧みず、貧乏で、どんな人にも家族のように近付き、無報酬で教えを説いてきました。これはもはや人間業ではありません
ではなにか?これが神の賜物です。
私は幼少期より神的な「声」を聞いていました。その「声」は何かがあることを禁止したり抑止したりする、私の警告を示していました。なので私は政治には関わってきませんでした。
おそらく、もし私が政治に関わっていたら、私は既に死んでいたでしょう。本当の正義の為に戦うことを欲するならば、公人ではなく私人として生活すべきです
私の唯一の公職経験である評議員時代、戦いが終わった10人の将軍に違法な有罪宣告に対して、一人で反対したことにより演説者や大衆の怒号を受けたこともあります
私は公人としても私人としても態度を一切変えてきませんでした。公人として政治に関わることが少なかったから、こうして長い歳月を生きることが出来たのです
私が問答をする時は政治家だろうと譲歩をしたことはありませんでした。報酬を受け取らず、貧富の差別をせず、いまだかつて誰の師になったこともありませんし、誰かに授業を授けたこともありません
私の仲間になっている人々は賢明とうぬぼれている人が吟味されているのを見るのが楽しいのでしょう
しかし、私自身は神からの使命としてこれを行っているのです。もし私が青年たちを腐敗しているのであれば、彼らの家族や一族がここに復讐に来てなくてはおかしいでしょう
しかし、私を支援してくれる青年たちが今日も来てくれています
ソクラテスは大衆の非難より自分の信じた道を突き進むということを強く訴えています。
そんな彼だからこそ、多くの青年が彼を慕い付き従ったのだと思います。
大衆よりも神の使命に従い行動するということが彼にとっての正義だったのです。
補足
ソクラテス最終弁論の補足をソクラテス自身でしています。
弁明として言いたいことは言い終えました
皆さんの中には私が涙を流したり、少しでも同情をひくために子どもや親族、友人を法廷に連れてくるだろうと思われた方もいるかもしれません
けれど、私はそうはしません。私や皆さん、そして国家にとってもそれは不名誉だからです
陪審員の皆さんは法律にしたがって事件を審理しなくてはいけません。メレトスの訴状の通りであるのか、そうでないのか
私は最も善い裁判がなされることを陪審員の皆さんと神々に委ねたいと思います
有罪もしくは無罪かの投票。
結果約280対220にて有罪決定。
刑量についての弁論
有罪が確定したソクラテスの罪の重さについての自己弁論。
こちらもソクラテスの独白です。
私にとって有罪決定は予想通りでした。むしろもっと多くの票差がつくと思っていましたが、30票と意外に僅差でした
告発者は死刑を求めていますが、それに対して何を言えばいいでしょう。私はプリュタネイオン(役所、会議所、宴会場などを兼ねたアテナイの中心施設)での食事をさせてもらうことこそふさわしいと思います
*プリュタネイオンでの食事はオリュンピア競技の優勝者などに与えられる当時のアテナイで最高の表彰でした。
これは決して傲慢から言うのではありません。
私は自分が故意に不正を行ったことがないと確信をもって言えますが、それを皆さんに信じてもらうには時間が足りません。それに、刑罰についてどのような提案をしていいのかが思いつきません
投獄されて奴隷生活を送ればいいのでしょうか。罰金刑になったところで、払えるお金がありません
追放されても、追放された町々で私は同じことを繰り返すでしょう。追放先で静かな生活を送ることなど、私には出来ません。それは神の命に背くことになります
また、人間の最大の幸福は毎日、徳について語ることであり、魂の探求に他ならないからです
私は無一文ですが、私を慕ってくれている人たちが私の保証人になってくれるというので、罰金30ミナ(当時の通貨の単位)を提案します
刑量についての投票。
約360対140にて死刑確定。
ソクラテスの正義
この部分で、ソクラテスの死刑が確定してしまいます。
有罪確定した後に、オリュンピア競技(現在のオリンピックの元になった競技ですね)の優勝者と同じような待遇を要求するあたり、さすがのソクラテスという感じです。
おそらくこの時に、死刑より少し軽めの罪を訴えていたらソクラテスは死ぬことはなかったと思います。
しかし、ソクラテスはどこまでも潔白でした。
彼は何か言い訳をするわけでもなく、自分の信じてきた価値観(正義)を陪審員に語ったのです。
死刑判決を受けて
ソクラテスが死刑判決を受けて、最後に陪審員に語った言葉です。
それはまさに彼の死生観が描かれていました。
ソクラテスの死生観について以下の記事にまとめていますので、
ソクラテスはなぜ死んだ?死に対するソクラテスの名言を解説
古代ギリシアの偉大な哲学者ソクラテス。そんな彼がなぜ死ぬことになったのか?彼の死生観とは一体どんなものだったのか?ソクラテスの名言も満載の『ソクラテスの弁明』より彼の生死観を分かりやすく解説してみました!
こちらも併せてご覧ください。
『ソクラテスの弁明』は裁判というものを通しながら、哲学者であるソクラテスの考える正義や死とは一体どういうものなのかが分かる書物になっているのです。
『ソクラテスの弁明』や『クリトン』について文庫でより詳しく読みたい方は、
こちらもぜひ読んでみて下さい。
ソクラテス関連の記事をここで読んでいれば、難解なこの文庫もきっと読み易くなるはず!
参考:『ソクラテスの弁明』
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