
堯(ぎょう)・舜(しゅん)は共に古代中国の帝です。
しかし、この二人が登場するのは中国神話の中でなので、実際にこの二人がいたかどうかは分かっていません。
しかし、1993年に竹簡(ちくかん)という竹で出来たお札に堯や舜のことが記録されていたり、2000年に堯舜時代の遺跡が見つかったり、今まさに注目されているところです。
しかし、中国神話に登場する君主ですので、なかなか現代の考え方ではとらえきれないエピソードがあったりします。
今回はそんな君主である堯と舜のエピソードをご紹介します。
堯(ぎょう)
まずは堯についてです。堯はそもそも父が帝で、血縁的に帝を継いだ形になります。
堯は次男なので、最初は長男のお兄ちゃんが帝をしていたそうですが、亡くなってしまったので、堯が帝になりました。
堯は本当に良き君主として知られいたのです。
太陽を撃ち落せ
堯の時代のエピソードして太陽にまつわるものがあります。
この頃の太陽は全部で10個あり、交代で地上を照らしていました。
しかしある時、この10個の太陽が一度に地上を照らすようになったので、地上は灼熱地獄となってしまいました。

これはまずいぞ…。羿(げい)、なんとかしてくれ
堯は弓の名人である羿にこの状況をなんとかするよう命令しました。

分かりました!なんとかしてきましょう!
すると羿はなんと10個の太陽のうち9個を太陽を撃ち落とすことに成功したのです。
こうして羿に救われた民衆は羿を起用した堯を褒め讃えたのです。
この太陽を撃ち落すエピソードはこちらの記事にも少し書いています。
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用心深い堯
堯が帝になって数十年が経った頃、人々は平和な世の中を喜んでいました。
しかし、堯はなんだか浮かない表情です。
「どうかしましたか?帝?」

私は不安だ。天下は本当に治まっているのだろうか。民は本当に帝が私で満足しているのだろうか…
すると堯はとあることを決心しました。

よしっ、街に出るぞ!
こうして堯は目立たぬように変装をして、自分の目で街の様子を見ることに決めました。

ん?子どもたちが何か歌っているぞ
堯が街に出ると、子どもが何かを歌っているのを耳にしました。

あれは、帝(堯のこと)を讃える歌です。子ども達はあなたを尊敬しているのです
しかし、堯の表情は暗いままです。

子どもは大人が歌わせている可能性があるからな
しかし、今度はご老人が歌っている姿を堯は見つけました。

日の出と共に働きに出て、日の入と共に休みに帰る。水を飲みたければ井戸を掘って飲み、飯を食いたければ田畑を耕して食う。帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか
ご老人の歌を聞いて、やっと堯は本当に世の中が治まっていると感じたのです。
舜(しゅん)
堯の次の帝が舜なのですが、二人は血縁関係にはありません。
堯には息子がいたのですが、彼は息子を後継者に選ばず、舜を後継者として次の帝に指定しました。
この血縁関係によらないで優秀な人に位を譲ることを禅譲(せんじょう)と言います。
舜は自分の次の帝に禹(う)という人物を選んだのですが、こちらも禅譲です。
禹については詳しくはこちらをご覧ください。
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家族に狙われる舜
舜は母親を早くに亡くしており、継母と連れ子と父親と一緒に暮らしていました。
父親たちは連れ子に後を継がせたいと思っていたので、隙あらば舜を殺そうと思っていました。

おい、井戸の掃除しておいてくれよ

分かりました
舜は言われた通り、井戸の中に入って掃除をしていました。すると上から土が降ってきました。

な、なんですか!これは!

生き埋めになれ!
舜は横穴を掘ってなんとか脱出しました。
このようなことをされても舜は相変わらず父に対して親孝行を尽くしたと言われています。
そのような態度や人徳が認められ、堯より舜は帝の位を譲り受けたのです。
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