クレオパトラと聞けば皆さんは何を思い浮かるだろうか?
絶世の美女として有名なクレオパトラ。
彼女は様々な歴史の重要人物と恋仲関係になって国を、歴史を動かしてきた。
伝説のクレオパトラ7世テア・フィロパトルは、権力とカリスマの象徴として、紀元前51年から紀元前30年までエジプトのプトレマイオス王国を率いた。
政治的陰謀、ロマンチックな同盟、そして悲劇的な結末に彩られた彼女の魅力的な物語は、歴史家や歴史ファンを魅了し続けている。
そんな彼女の歴史を覗いてみよう。
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祖先と言語能力
プトレマイオス朝の創始者プトレマイオス1世ソテルの子孫であるクレオパトラは、ギリシア語を話すエジプトの支配者の中でも特筆すべき例外だった。
前任者たちとは異なり、彼女は現地のエジプト語を最初にマスターした。これは彼女の順応性と鋭い知性の証である。
クレオパトラは、母国語であるコイネギリシャ語の他に、いくつかの言語を操ったと伝えられており、彼女の国際的な視野と当時の多様な文化的影響を反映している。
名前の意味
クレオパトラという名前はギリシャ語に由来し、「父の栄光」と訳される。
プトレマイオス王朝の王族との婚姻によってもたらされたこの名前は、王朝の政治領域における女性の影響力のある役割を強調している。
クレオパトラの生涯あらすじ
プトレマイオス朝最後のファラオとして、クレオパトラの政治的洞察力、カリスマ性、そして強大なローマ帝国との戦略的同盟は、激動の時代に忘れがたい足跡を残した。
愛と野心、そして運命のいたずらに突き動かされた女性クレオパトラの壮大な物語を、私たちと一緒に紐解いていこう。
プトレマイオス12世の亡命と帰還
紀元前58年、若きクレオパトラは、父プトレマイオス12世アウレテスのローマ亡命に同行したと推定され、ローマ帝国の勢力図を目の当たりにした。
エジプトでの反乱の後、プトレマイオス12世は即位し、娘のベレニス4世が後を継いだ。
しかし、ローマ軍の援助により、紀元前55年に王位を取り戻したものの、その6年後に死去し、クレオパトラとその弟プトレマイオス13世が共同統治することになった。
クレオパトラの即位
クレオパトラの即位には困難がつきものだった。
彼女は、飢饉、ガビニアニに扇動された無法行為、父親が残した多額の負債など、多くの問題に直面した。
彼女の共同統治者であり、配偶者であったはずのプトレマイオス13世は、宦官ポテュイノスなどの強力な同盟者に支えられ、彼女の治世にもう一つの重大な脅威をもたらした。
クレオパトラとユリウス・カエサル
エジプトの政治的混乱は、ライバルのポンペイを追ってエジプトに到着したローマの独裁者兼執政官ユリウス・カエサルの注目を集めた。
この歴史的な到着は、クレオパトラとカエサルの同盟関係の始まりであり、この関係は彼女の治世とエジプトの運命を大きく左右することになる。
クレオパトラとカエサリオンの治世
ユリウス・カエサルの影響力により、クレオパトラはエジプトの支配者としての地位を強化した。
二人の結婚によって生まれた息子カエサリオンは、後にクレオパトラによって共同統治者に指名された。
紀元前46年と44年にローマを訪れ、カエサルの別荘に滞在したことで、クレオパトラとカエサルの同盟関係はさらに強固なものとなり、ローマ政界におけるクレオパトラの地位はさらに強固なものとなった。
マルクス・アントニウスとの同盟
紀元前44年にユリウス・カエサルが暗殺された後、クレオパトラはローマの第二次三人組、特にマルクス・アントニウスと同盟を結んだ。
3人の子供をもうけた彼らの恋愛と政治的同盟は、クレオパトラの後期治世の中心的な側面となった。
アクティウムの戦いとクレオパトラの失脚
クレオパトラとアントニウスの関係は、オクタヴィアヌスとのプロパガンダ戦争を引き起こし、ローマ共和国の最終戦争へと発展した。
紀元前31年、アクティウムの戦いで大敗したクレオパトラとアントニウスはエジプトに退き、そこで悲劇的な最期を遂げた。
死と遺産
自ら招いた毒殺とされるクレオパトラの死は、プトレマイオス王国の終焉とローマ帝国エジプトの始まりを告げるものだった。
謎とドラマに包まれた彼女の死は、数え切れないほどの再話や芸術的描写にインスピレーションを与えた。
クレオパトラの遺産はその生涯をはるかに超え、ローマの彫刻からハリウッド映画まで、さまざまな文化的描写に影響を与えている。
クレオパトラは、女性の力、知性、魅力を体現した、歴史上の魅惑的な人物であり続けている。
クレオパトラとはどんな人物だった?
クレオパトラは、古代エジプト史に輝く重要な人物であり、その魅力的な人物像は多くの人々を引き寄せてきた。
彼女はエジプト最後のプトレマイオス朝のファラオとして知られ、政治的な手腕と文化的な洞察力を持ち、強力なローマ帝国との交渉においてもその存在感を示した。
さらに、彼女の愛の物語やその死に至るまでの運命も、彼女の人物像を深く特徴づける要素となっている。
ここでは、クレオパトラの多面的な魅力に迫ってみよう。
クレオパトラ、弟と結婚する
クレオパトラの父親はプトレマイオス12世で、エジプトのファラオ(王)であった。
プトレマイオス12世が亡くなると、クレオパトラは弟であるプトレマイオス13世と結婚し、共同で王位に就く。
姉弟で結婚なんて…
と思うかもしれないが、当時の古代エジプトの慣例はそのようになっていたようだ。
しかし、この弟と意見が合わない…。
ローマとの同盟を強化していくことがエジプトにとっての一番の策だわ
とクレオパトラは思っているが、
ローマから独立することがエジプトにとって一番の策だ
と弟は思っているのだ。
この二人の共同統治なのだから、上手くいくわけがない…。
両者の対立が激化するにつれて、エジプトは事実上の内戦状態になってしまう。
この二人の間に立ったのがローマの政治家の超重要人物であるカエサルだ。
何を姉弟で争っているんだ。二人とも一回話し合おうぜ!
カエサルはエジプトの先王プトレマイオス12世の遺言に従って両者が和解するように二人をアレクサンドリア(エジプトの都市です)に呼び集める。
そしてその時、クレオパトラは動いたのだった。
クレオパトラ、カエサルと愛人になる
クレオパトラは自ら寝具袋(絨毯とも言われている)にくるみ、カエサルのもとへと贈り物として届けさせて王宮に入ることに成功したと言われている。
絨毯を開けばびっくり、そこには美女が…!状態だ。
古代エジプトでは贈り物や賄賂として宝物を絨毯にくるんで渡すという習慣があったようで、絨毯にくるまれた「クレオパトラ=賄賂」であり、
私を好きにしていいわよ
という意味だったのではないかと考えられている。
この時、クレオパトラはカエサルの愛人になったとされていて、これを知った弟のプトレマイオス13世は
ふざけんな、姉貴ー!!
と怒り心頭、王冠を地面に叩きつけたと言う。
カエサルの元で、一応クレオパトラとプトレマイオス13世の和解が成立したのだが、その和解期間はたったの15日間だけだった。
そして、プトレマイオス13世はカエサル軍を攻撃するようになる。
カエサルはローマ軍を使ってこれを制圧。
プトレマイオス13世はナイル川に身を投じて自殺することになる。
こうして姉弟の争いに終止符が打たれたのだ。
プトレマイオス13世の死後、クレオパトラはさらに違う弟であるプトレマイオス14世と結婚し、共同統治をすることになった。
しかし、今回の共同統治は後ろ盾にカエサルがいるので、ほとんどカエサルの政権といっても差し支えないものだった。
クレオパトラはカエサルの子カエサリオン(一部本当にカエサルの子なのかを疑う説あり)を連れてカエサルの庇護の元ローマへと滞在。
しかし、カエサルが暗殺されると、彼女は再びエジプトへと戻ることになるのだ。
クレオパトラ、アントニウスを魅了する
カエサルが暗殺され、クレオパトラがエジプトに帰国すると、プトレマイオス14世が死亡した(クレオパトラが殺したという説もある)。
なので、クレオパトラは彼女の子どもである幼いカエサリオンを共同統治者に指名した。
姉弟の共同統治から母息子による共同統治へと変化するわけなのだ。
そして、ローマの方ではクレオパトラが支援していた勢力がマルクス・アントニウスの勢力に負けてしまい、彼女は出頭を命じられた。
ここで再びクレオパトラが動く。
彼女は美しく着飾り、香を焚いてムードをつくりながら出頭する。
なんて美しいんだ…!
とアントニウスがなったのかは分からないが、少なくとも彼とクレオパトラが急接近する。
まぁ、ただの恋愛関係からの発展というよりは
アントニウスとしても、クレオパトラと仲良くしておくことは政治的にも有利であったのだろう
との考え方もある。
しかし、アントニウスが大々的な凱旋式(がいせんしき)をエジプトでやったり、
凱旋式とは、古代ローマにおける市民儀式または宗教的典礼であり、国家の勝利に貢献した司令官を民衆の前で讃えるイベント。{alertInfo}
自分が死んだ後はエジプトで埋葬してくれ
と遺言に書いたり(ただこの遺言を本当にアントニウスが書いたのかの真偽は定かではない)する行動にローマ市民が不満を持つようになる。
アントニウス、最近ちょっとエジプトに関わりすぎじゃない?ローマ人なんだからもっとローマ人らしくしろよ
とローマ市民の不満はそのままアントニウスとライバル関係にあったアウグストゥスという政治家の支持につながる。
そして、最終的にアウグストゥスがアントニウスに宣戦布告を行いアクティウムの海戦へと繋がるのだ。
結果はアウグストゥスが率いるローマ軍が勝利し、エジプトを制圧する。
アントニウスは途中クレオパトラが自殺したという誤報を受けて自殺。
クレオパトラもアウグストゥスに屈することを拒み自殺してしまうのだ。
アントニウスと共に葬られたい
という文字が彼女の遺言にはあり、アウグストゥスによってそれは叶えられた。
こうして世界的に有名な美女はその生涯を閉じたのだ。
クレオパトラは本当に美しかったのか?
クレオパトラと言えば美女というイメージが世界中に広がっているが、本当に彼女は美しかったのだろうか?
実はそうでもなかったという説も出ている。
歴史家のプルタルコスは彼女の容姿について、彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見る人をはっとさせるものでもないと言われていたと評している。
クレオパトラに惚れこんでいたカエサルも彼女の知的な部分と声の良さは褒めているが、容姿については実は何も言っていないのだ。
ただ、相当に賢かった人であることには間違いがないようで、クレオパトラは7つの言語に通じていたとも言われていて、話し方も優雅であったとされている。
彼女の美しさは外側のみではなく、内側から湧き出てくるものだったのではないかと思われる。
少なくとも、歴史上の重要人物達が彼女の魅力にとりつかれたのは紛れもない事実なのだ。
結論
クレオパトラの生涯と治世は、権力闘争、同盟関係、劇的な展開に満ちていた。
しかし、彼女の知性、政治的洞察力、魅力は、歴史上最も記憶に残る人物の一人として彼女を際立たせた。
クレオパトラは単なる魅惑的な美女ではなく、抜け目のない野心的な指導者であり、当時の激動する政治を切り抜け、不朽の遺産を残した。
そんなクレオパトラの生涯について漫画でも読む事が出来ます!
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