古代中国春秋時代の越(えつ)の王様は、
私、勾践(こうせん)です!
そんな勾践には名軍師がいました。それが
私、范蠡(はんれい)でございます
勾践は呉(ご)の王様であった
僕は、夫差(ふさ)だよ!
との『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』のお話がとても有名です。
『臥薪嘗胆』については別の記事にまとめていますので、まずはそちらをご覧いただけたらと思います。
『臥薪嘗胆』の由来とは?あらすじを分かり易く簡単に解説!
『臥薪嘗胆』の由来って何? そこには古代中国の逸話があった! 分かりやすく解説!
しかし、この『臥薪嘗胆』ストーリーに大きく関わっていた人物がいます。
それがこの范蠡なのです。
勾践と范蠡はどのような関係だったのでしょうか。
さっそく見ていきましょう。
范蠡、允常(いんじょう)に仕える
范蠡は勾践に仕える前に、勾践の父親であり前王の允常(いんじょう)に仕えていました。
その頃、呉の王は夫差の父親である闔閭(こうりょ)でした。
允常が亡くなると勾践がその跡を継ぎ、越は喪中ムードになりました。
しかしその越を叩いたのが、闔閭です。
呉が越を攻め込んできて、范蠡はとある奇策を思い付きます。
范蠡は決死隊(罪人の集まりではないかと言われています)をつくり、その兵たちを敵の目の前まで行かせて、なんと敵の目の前で自らの首をはねさせたのです。
ぎゃー!!!
あまりの行動に呉軍はびっくり仰天。
戸惑っている呉軍のすきをついて、越軍は呉軍を撃破しました。
しかもその時闔閭が受けた足の傷が原因で闔閭は亡くなり、その子どもである夫差が呉の次期王となったのでした。
勾践、夫差に攻められる
この夫差ですが、
きぃぃぃ、父上を殺しおって…!!
と父親が殺されたこの戦いがよっぽど悔しかったのか、毎日薪の上で眠る(臥薪)することで、悔しさを思い出し、遂には越を追い詰めます。
どうかお願いします!命だけは助けてください!どうか命だけは!!
勾践は夫差に頭を下げて命乞いをします。
さらに勾践の家臣は夫差の側近に賄賂を渡して、勾践を助けるように吹き込んだと言われています。
そのおかげなのか、勾践の命は助かります。
しかし、勾践は夫差の馬小屋の番人をさせらるなど、屈辱的な扱いを受けました。
勾践、呉を攻める
その後、国に戻った勾践は
この屈辱、一生忘れてなるものか…!!
とこの時の悔しさを忘れないために部屋に苦い胆(きも)を吊るし、毎日それを嘗めて呉への復讐を誓ったと言います。(嘗胆)
そして、夫差が出かけている隙をついて、勾践は一気に呉を占領しました。
しかし、夫差が慌てて引き返してきたため、勾践は
まだ呉の全土を占領するには力不足だ…
と思い、一旦は和解します。
しかしこの四年後、越は呉に決戦を挑みます。
結果は越の勝利でした。
助けてくれ!どうか命だけは!
今度は夫差が勾践に命乞いをする番です。
殺してしまいなさい
范蠡は勾践にそうアドバイスしますが、勾践はためらいました。
殺すのはちょっと…。島流しで手を打つか
そう思っていたのですが、その命令を受けた夫差はそのまま自殺をしてしまいました。
范蠡、越を出る
呉に復讐を果たすという悲願が達成された勾践は有頂天になってしまいました。
そのため范蠡は密かに越を脱出します。
范蠡が後に勾践の家来に当てた手紙にはこう書かれていました。
越王(勾践)は首が長くて口がくちばしのようにとがっています。こういう人相の人は苦難を共にできても喜びは共にできません。どうしてあなたは越から逃げ出さないのですか?
この手紙を范蠡からもらった家来は、悲しいことに後に勾践より自殺を迫られ、その生涯を終えることになってしまいます。
越を出た范蠡は斉(せい)に向かい、名前を変えて商売を行い、巨万の富を得ることになります。
范蠡の名前を知った斉はぜひ彼に宰相をしてもらおうと迎えに来ますが、范蠡がそれを断ります。
名前が上がりすぎるのも不幸の元だな…
そう思った范蠡はその財産を全て他人に分け与えて斉を去りました。
そしてまた違う国に向かい、その地で名前を変えて商売をすると、そこでも巨万の富を得ることができました。
才能がありすぎる…。
年老いてからは子どもに店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言われています。
コメントを投稿