兵法書『孫子(そんし)』の著者として有名な孫武(そんぶ)。
『孫子』現代にも続く、優れた書物であることはオリエンタルラジオの中田さんが自身のYouTubeチャンネルの『中田敦彦のYouTube大学』で紹介されていましたね。
古代中国の春秋戦国時代において「戦わずして勝つ」という戦略思想を持った孫武はまさに天才だったのではないでしょうか。
この記事では『孫子』ではなく、孫武の人間性についてエピソードを交えながらご紹介出来たらと思います。
伍子胥(ごししょ)に見出される孫武
孫武の出身は斉(せい)でしたが、一族の内紛があり、孫武は家族を連れて呉(ご)にやってきました。
とにかく兵書が好きだったようで、古代中国の周の軍師の兵書や斉の管仲についても学んでいたようです。
管仲については別記事もありますので、よろしければそちらもご覧ください。
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そんな孫武ですが、呉の宰相だった伍子胥(ごししょ)に兵法の才能を見出されました。
て、天才がいる!
と思ったのか、伍子胥は呉の君主だった闔閭(こうりょ)に孫武が書いた『孫子』を渡してこう言います。
彼を絶対使うべきです!
なんと伍子胥は七回も闔閭にお願いしたようです。
伍子胥による相当な粘り勝ちによって孫武は将軍への道が開かれたのです。
模擬訓練にガチすぎる孫武
伍子胥の七回によるお願いのおかげもあったからなのか、遂に闔閭が孫武を呼び出します。
『孫子』は読ませてもらった。良ければ宮中の婦人を軍に見立てて、そなたの軍の指揮を見せてもらうことは出来るか?
もちろんです!
孫武はさっそく、宮中にいる美女180人を集合させて二つの部隊を作り、彼女たちに武器を持たせて整列させました。
将軍は私がするとして、それぞれの部隊の隊長を誰かにしてもらいましょう。そうですね…では、寵姫(お気に入りのめかけ)様にお願いしましょう
孫武は二つの部隊の隊長に闔閭の寵姫を置きました。
そして、美女たちにこう言います。
前後左右を知っているか?
知っています
では、私が前と言えば胸を、左と言えば左手、右と言えば右手、後ろと言えば背中を見よ
分かりました
そして合図通りに彼女たちが動く訓練を始めたのです。
ところが、命令の合図が太鼓の音になると、彼女たちはどっと大笑いするだけで動こうとはしませんでした。
命令が不明確で徹底していないのは将軍である私の罪。もう一度最初から、やり直し!
と孫武は言うと、命令を何度も繰り返しました。
しかし、太鼓による命令になると、再び彼女たちは大笑いするだけで動こうとはしませんでした。
命令が既に明確なのに、それが実行されないのはもはや指揮官の罪
そう言うと、孫武は隊長に任命した寵姫二人を斬ろうとしました。
上から訓練の様子を見ていた闔閭はびっくりです。
おいおい、何をする!将軍の腕は既によく分かった。余はその二人(寵姫)がいないと飯が不味くなる。どうか斬るのは止めてくれ
しかし、孫武は君主である闔閭にこう言いました。
ひとたび将軍としての任命を受けた以上、戦場であれば君主の命令であっても従いかねることがございます。なので、私は斬ります
きゃー!!!
孫武は本当に二人の寵姫を斬ってしまいました。
では、訓練に戻る。隊長がいなくなってしまったが…そうだな、では、君と君。隊長役をお願いする
こうして孫武は再び訓練を続行しました。
人が斬られた姿を見た美女たちは今度は誰一人として声をあげる者はおらず、命令通りに動くことが出来ました。
その様子を見た孫武は闔閭に言いました。
兵は既に整いました。どうぞ降りて見てください。彼女たちは今や水や火の中へも行くでしょう
しかし、闔閭は面白くなさそうに言いました。
将軍殿はそろそろ帰られるがいい。余はそこには行きたくない
しかし、これ以降闔閭は孫武の軍事の才能を認めて将軍に任命したのです。
その後の孫武
その後、孫武は将軍に命じられ、楚(そ)の戦にも参加することになります。
柏挙(はくきょ)の戦いにおいて孫武の戦略が炸裂し、三万の呉軍は二十万の楚軍を破り進撃し、十日のうちに楚の王都を陥落させたとして、孫武の名は全土に広がります。
しかしその後、秦(しん)が呉を攻めてきたので、呉は楚からやむなく撤退をすることになりました。
そして、闔閭は孫武が止めたにも関わらず越(えつ)を攻め、そこで受けた傷により死亡しました。
そして息子である夫差が跡を継ぐことになります。
この夫差が越に負けたことがあまりに悔しく薪の上で臥せて寝たことエピソードから臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の言葉が生まれました。
臥薪嘗胆についてはこちらの記事をご覧ください。
『臥薪嘗胆』の由来とは?あらすじを分かり易く簡単に解説!
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孫武の人生の後半部分の記録は残っていません。
孫武の最後の記録は自ら辞職を願い出たというところのみであり、それ以降は歴史書から姿を消してしまいます。
孫武の墓もどこにあるのかはっきりしていません。
そもそも孫武自体が本当に実在した人物だったのか…という論争があるようです。
参考:孫武
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