モヘンジョダロ(Moenjodaro)はインダス文明の最大級の都市遺跡です。
世界遺産に登録されていて、謎の多い遺跡とされています。
モヘンジョダロとは?
モヘンジョダロはパキスタンのシンド州に位置します。
モヘンジョダロはパキスタンの言葉で「死の丘」という意味です。
このように恐ろしい名前だった為、現地人はモヘンジョダロに近づこうとしませんでした。
非常に古い時代の死者が眠る墳丘墓(ふんきゅうぼ)として認識されていました。
歴史学者が足を踏み入れてから研究されるようになったのです。
しかし、インダス文字が解読されていないので、モヘンジョダロの当時の呼び方は謎に包まれています。
モヘンジョダロは紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄し、最大で4万人近くが居住していたと推測されています。
モヘンジョダロの特徴
遺跡は東西2つの遺丘からなっていて、
- 東方:市街地
- 西方:城塞(都市・町の一角に建てられた要塞)
とそれぞれ広がっていきました。
遺跡は秩序がある整った都市計画がされていました。
なぜなら、道路は直角に交差し、碁盤の目のように細分されていたからです。
さらに、以下のような設備が存在していました。
- 水道
- 汚水の排水システム
- 個人用の浴室や公衆浴場
- 貯水池
このようにモヘンジョダロは高度な文明でしたが短期間で滅亡しました。
なぜ滅びてしまったのでしょうか?
古代核戦争説
モヘンジョダロは核戦争で滅亡したという説があります。
現在発掘が進んでいるのは全体の約4分の1ほどの地域です。
しかし、遺跡で見つかった白骨死体46体は、突然死がやって来たような状態であったと言われています。
さらに、その内の9体には高温にさらされた跡が残されていました。
また、ヒンドゥー教の聖典の1つである「ラーマーヤナ」(古代インドの叙事詩)の記述にもとづき、戦争の年代と場所を特定した研究者は以下のように言及しています。
分析したところ、戦争の発生期間を紀元前2030年から紀元前1930年の間と特定したものの、モヘンジョダロにおいては約400年程度の食い違いがある
このずれの可能性としては放射能の影響が強く考えられていますが、現在もはっきりしていません。
ガラスになった町?
古代核戦争の研究者ダヴェンポートは、
「ガラスになった町」と現地民が呼んで近付かない場所を訪れた!
と報告しています。
これらの石は高熱で溶けた砂が再固化したものと判明していて、その正体はテクタイトであるとされます。
高速で衝突した巨大な隕石のエネルギーで蒸発気化した地表の石や砂などが、上空で急冷して固まったものだと考えられています。
核は隕石衝突ではありませんが、巨大なエネルギーが一瞬で空気で発生し爆発するので似ているでしょう。
ガラスになった町の付近では、ほかにも溶けてくっついたレンガや、ねじ曲がったり気泡が混じるなどしてガラス化した壺の破片等の遺物も見つかっています。
一般的な考古学者は以下のように考えています。
これらの遺物やガラス化現象については、大規模な火災や火山噴火等の諸条件が偶然重なって起きたまれな現象である
残念ながら、モヘンジョダロ遺跡のあるインダス川流域において、それほどの大規模の火山活動の痕跡はいっさい確認されていません。
このように広範囲の砂が溶けてガラス化するという現象はこれまで自然界ではまったく見つかっていません。
なので、同様の風景は今のところ地表で核実験の行われた場所(砂漠)でしか確認されていません。
古代核戦争説への反論
ちなみに、古代核戦争説には反論もあります。
証拠とされる品物は「発見者」や「オカルティストたち」によって捏造された可能性があるのでは?
発見者のダヴェンポートは「ガラスになった町」を「地元でタブーとされている場所」として、その正確な場所を明らかにしていません。
その存在を第三者が確認したわけではありません。
インダス文明を研究する考古学者の近藤英夫教授(東海大学)はNHKの取材で、このガラスになった町について、以下のように言及しています。
モヘンジョダロは何度も訪れたが、見たことも現地で話を聞いたこともない。
ガラスになった町が実在しない場合、そこから発見されたという遺物の信憑性も失われることになってしまいます。
近年の研究では大規模な洪水で衰退したと考えられています。
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