紀元前6世紀、ソロンはアテネとその社会の近代化に貢献した最初の指導者の一人です。
彼は、将来の世代の生き方を変えるような新しい法律をつくりました。
残念ながら、この偉大な法学者について、またアテネ社会への貢献についてはほとんど知られていません。
しかし、ヘロドトスの『歴史』など、他の歴史書を通してソロンの改革について知ることができます。
そんなヘロドトスの『歴史』について詳しく知りたい方は、
ヘロドトスの著書『歴史』の内容から分かる5つの思想まとめ
ヘロドトスが残した著書『歴史』により、彼は「歴史の父」と呼ばれます。ペルシア戦争を中心とした歴史、風習や伝説などが載っているのが特徴です。この著書『歴史』から分かるヘロドトスの思想などを、ここでは紹介していきます!
こちらの記事をお読み下さい。
彼の遺産は、さまざまな社会で正義と公正を実現しようとする歴史上の人々を鼓舞してきました。
この素晴らしい人物の生涯と、彼がどのように世界を変えたかを見てみましょう!
ソロンとは何者か?
ソロンの生涯の詳細はほとんど知られていませんが、その数少ない詳細が重要なのです。
ソロンは紀元前6世紀初頭にアテネで生まれました。
貴族階級に属していましたが、巨万の富を有していた訳ではありませんでした。
しかし、ソロンはアテネの現状に満足していなかったのです。
貴族が庶民を支配し、民衆が奴隷のように扱われるとは何事だ…!!
と不満を持っていたのでした。
紀元前594年、ソロンは物事を変える機会を与えられます。
当時のアテネは政情不安と社会抗争に悩まされていたのです。
た、助けてくれ…!!
と民衆はソロンに助けを求めました。
ソロンは独裁的な権力を与えられ、改革を実施することになったのです。
紀元前6世紀のアテネ
紀元前6世紀はアテネにとって暗黒の時代でした。
なぜなら、貴族がアテネ社会のほとんどの面を独占していたのです。
民衆は奴隷のように扱われ、貴族は退廃的で不道徳な生活を送っていました。
アテネ市民の大半は貧しい農民であり、政府に対して何の発言権もありませんでした。
貴族は政治的決定を行う唯一の場である議会を支配していたのです。
議会に参加する権利を得るためには、貴族の一員であることが必要でした。
貴族はこの特権を死守し、非貴族が議会のメンバーになることは非常に困難な状態でした。
明るい未来へ「ソロンの改革」
ソロンは、アテネが変わらなければならないことを悟りました。
そのためには、彼が独裁者となってアテネを支配しなければならなかったのです。
しかし、貴族だけが支配を許されていた時代に、どうやってそんなことができたでしょうか?
ソロンは非常に慎重に改革を行いました。
彼は、庶民が政府に参加できるように法律を改正し、貴族の力を弱めたのです。
ソロンはアテネの人々を4つの経済階級に分けました。
そして、庶民と貴族の間にいたゼウギテスと呼ばれる新しいグループを追加しました。
貴族は特権を失い動揺しましたが、庶民はこの変化に喜びました。
古代ギリシャのソロンの法律
紀元前594年頃、彼はアテネ新憲法(通称「ソロンの法律」)を制定し、
- 貿易
- 婚姻権
- 債務不履行
- 相続法
- 土地所有
- 市民権の資格
に関する新しい規定を設け、今日、我々が基本的「人権」と呼ぶものの最初の一例と考えられています。
ソロンの法律は、社会階層間の公平性を図り、債務奉仕への過度の依存を防ぎ、女性、子供、奴隷の権利を保護するために重要でした。
ソロンがアテネで制定したこれらの法律は、今日に至るまで重要な意味を持ち続けています。
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