(参照URL:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Korean_red_bean_porridge-Patjuk-01.jpg)
小豆粥は日本文化の重要な一部であり、その甘く香ばしい風味が高く評価されています。
何世紀にもわたって親しまれてきた伝統的な日本料理の代表格であり、今日でも親しまれています。
そんな小豆粥について分かりやすく紹介していきます!
小豆粥とは?
小豆粥(あずきがゆ)とは、米と小豆を炊き込んだ粥です。
ハレとケに食べられる食べ物の1つです。
日本の小豆粥
日本では、小正月の1月15日に邪気を払い一年の健康を願って小豆粥を食べる風習があります。
この15日は太陰暦の望の日なので、望粥(もちがゆ)とも呼ばれています。
また、雪深い東北地方や北陸地方では、1月7日の七草粥のかわりとして小豆粥を食べる地域もあります。
小豆が持つ赤色と稲作民族の呪術が結び付けられて、古くから祭祀の場で小豆が使われてきました。
小豆粥の起源
中国では、古くは冬至の際に小豆粥が食べられました。
その後にこの風習が発達して、12月8日には米と小豆ほか複数の穀物や木の実を入れた「臘八粥(ろうはちがゆ)」というものが食べられました。
さらに、六朝時代の中国南部では1月15日に豆粥が食べられました。
これが日本に伝わって、1月15日(小正月)の朝に小豆粥を食べるようになったと考えられています。
『延喜式』によれば、
- 宮中:米・小豆・粟・胡麻・黍・稗・葟子(ムツオレグサ)の「七種粥」
- 一般官人:米に小豆を入れたより簡素な「御粥」
と小正月にそれぞれ振舞われていたようです。
また、紀貫之の『土佐日記』によれば、
承平7年(935年)の1月15日(小正月)の朝に「あづきがゆ」を食した
という記述が登場しています。
江戸時代には15日が以下のように考えられました。
「望(もち)の日」の粥→「餅(の日)」の粥
なので、小豆粥に餅を入れて食べる風習もあったのです。
地方の小豆粥
今日でも地方においては、
- 正月
- 田植
- 新築祝い
- 大師講(仏事)
などの際に小豆粥や小豆雑煮で祝う風習のある地方があります。
大師講が行われる11月23日(現在は12月23日)にはそれぞれの家で長短不揃いのカヤの箸とともに小豆粥が供えられます。
大師様が小豆粥を食べる際に使ったと考えられた箸は、
- 魔除け
- 子女の学問・技術の向上のまじない
など地方によっては講の後に使われました。
同じく米と小豆を炊き込んだ赤飯との共通点が多く、いずれもハレとケに食べられています。
その他、赤飯に胡麻塩をふりかけるのは単なる味付けのみならず、古い時代に小豆粥に他の穀物を入れたのと同様であったと考えられています。
中国と朝鮮の小豆粥
小豆をつかった粥として、
- 中国:紅豆粥(ホンドウジョウ) hóngdòuzhōu)
- 朝鮮:パッチュク(팥죽)
とそれぞれの国であります。
中国の紅豆粥は文字通り小豆をベースにした粥であり、甘くないぜんざいや汁粉のようなもので米は使いません。
一方、朝鮮のパッチュクも冬至に食べる行事食です。
米の入った小豆粥ですが、小豆を先に茹でて裏ごししてから米を加えて炊き、白玉などを浮かべることが多いようです。
そんな伝統文化のある小豆粥を食べる期間(小正月)についてさらに詳しく知りたい方は、
小正月に何をする?何を食べる?歴史や風習を簡単に解説!
お正月は、日本の最も重要な祝日の1つです。そのお正月の期間は、大正月と小正月に大きく分けられます。小正月は正月15日に行われる行事です。そんな小正月とは一体どんなもので、何がその期間中に行われるのでしょうか?
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参考:小豆粥
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