宇佐見りんの受賞作『推し、燃ゆ』は、17歳の山下あかりが、単純なことにさえ悩む日々を綴った、示唆に富む小説である。
本書は、熱狂的なファンというテーマと、個人がバーチャルな生活の中でどのように目的を見出すことができるかを探求している。
この記事では、ファン、特にアイドルのファンであることの複雑さ、そしてファンであることがいかにその人のアイデンティティや目的意識の一部となりうるかを掘り下げていく。
また、ステージ上のパフォーマーとプライベートの違い、そしてその違いを理解することの重要性についての著者の見解も紹介したい。
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あかりの「意味」の探求
主人公のあかりは、J-POPアイドルの上野真幸(うえのまさき)の熱狂的なファンとしてバーチャル人格を作り上げ、癒しを得ていた。
しかし、真幸がファンを殴ったことから、あかりのネット生活は崩壊し、制御不能に陥る。
その結果、彼女はスキャンダルに巻き込まれ、憎悪とネガティブな注目を集め、自分の弱さをさらけ出すことになる。
この小説の中で、あかりは物理的な世界での失敗や挫折を捨て、バーチャルな生活の中で輝いていることを明らかにしている。
宇佐見は、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を彷彿とさせるような、若者の心を凝縮したような小説を生み出している。
この小説は、主人公が大人の偽善を見ることで、くすぶっているのだが、『ライ麦畑でつかまえて』に見られるような、「インチキ」に対するあからさまな怒りはない。
宇佐見の魔法は、ティーンエイジャーの心の機微を見事にとらえたところにあるのではないだろうか。
著者インタビュー
著者の宇佐見りん氏はインタビューの中で、「ファンという概念が社会的にあまり理解されていないと感じたからこの小説を書いた」と説明している。
ファンであることは、その人のアイデンティティや目的意識の一部になり得ると考えているそうだ。
宇佐見は、ファンにはさまざまな形があることを認め、自分なりのファンのあり方は、ライブに足を運び、好きな俳優を応援することであると述べている。
また、ステージ上のパフォーマーとプライベートの違いを理解することの重要性についても言及している。
ファンであることは、必ずしも彼らの一挙手一投足を盲目的に追いかけることではないことを語っている。
ファンであることの複雑さ、多様性、そして個人にとっての意義が浮き彫りになるインタビューといえる。
あかりは小説の中でブログを更新し、好きなアーティストの音声付き目覚まし時計を使ってみた感想や、出演したラジオ番組の原稿を載せている。
ブログは、あかりが自分を表現し、「推し」を愛する気持ちを共有するための手段でもある。
著者は、この小説を書くにあたって、ファンのSNSやブログからインスピレーションを得たという。
最後に
宇佐見りんは、『推し、燃ゆ』で、熱狂的なファンに目的と意味を見出す青年の心の旅を読者に提示する。
この小説は、個人がバーチャルな生活の中に慰めや安らぎを見出す方法についての示唆に富んだ考察である。
宇佐見のインタビューは、ファンであることの複雑さと多様性、そしてそれが個人にとって持つ意味を浮き彫りにしている。
今まで紹介してきた『推し、燃ゆ』という小説を読んでみたい方は、ぜひこちらから読んでみて欲しい。
【第164回芥川賞受賞作】 逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。デビュー作『かか』が第33回三島賞受賞。21歳、圧巻の第二作。
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