日本建築はそのユニークでエレガントなデザインで知られているが、伝統的な日本建築の最も象徴的な要素のひとつが障子である。
障子とは、木枠と和紙で作られた障子戸や間仕切りのことを指す。
この記事では、日本建築における障子の歴史と進化について、その初期の起源から現代の使われ方まで探っていく。
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障子の起源
「障子」という言葉は、元来、何かを妨げたり、遮ったりするものを指していた。これらの障壁は、視界、風、光、寒さを遮るために作られた。
例えば、屏風は日本語では「びょうぶ」、中国では「ピンフェン」と呼ばれる。
時代が下るにつれて、これらの用語は進化し、変化していった。
奈良時代(710~794年)には、正倉院宝物に見られるような数少ない障子しか残っていない。
残念ながら、この時代の上流階級の住居内部の記録はほとんど残っていない。
平安時代後期(794~1185年)になると、「寝殿造(しんでんづくり)」と呼ばれる建築様式が登場する。
建物内の壁や仕切りが少なく、柱や「帷(かたびら)」または「御簾(みす)」と呼ばれるカーテンで空間を区切り、それぞれの活動を行う。
このカーテンは現代のブラインドに似ており、竹や葦で作られることが多かった。
障子の発展
建築技術の進歩とともに、障子は次第に現代的な形へと進化していった。
鎌倉時代(1185~1333年)には、掛け軸や絵画に障子のようなものが描かれている。
しかし、現代の障子の原型が現れたのは室町時代(1336〜1573年)のことである。
「明障子」と呼ばれるこの意匠は、平清盛が依頼した六波羅密居(ろくはらみつい)の建築設計図に初めて登場する。
この初期の障子が現在の障子に似ているかどうかは不明である。
鎌倉時代には、木材の生産や道具の技術に大きな制約があった。
そのため、現代の障子や襖の原型は比較的頑丈で、職人の緻密な技が要求された。
敷居や枠、襖の溝を設けることは、大きな課題であった。
時代が進み、技術が向上するにつれて、伝統的な障子や襖はより軽く、繊細になり、取り付けも簡単になった。
障子の洗練された職人技は、江戸時代(1603~1868年)に最盛期を迎え、ミニマリストの美学と細部へのこだわりが特徴となっている。
障子の種類
伝統的な日本建築の真髄である障子には、機能性と美観の両面で様々な形や様式がある。
光と影を演出し、空間を引き締める重要な役割を果たす障子。
では、障子にはどのような種類があるのか。
それぞれがユニークな特徴を持ち、日本のデザインや文化にどのように応用されているのかを見てみよう。
カーテン型障子
障子の一種に「御簾(みす)」がある。
伝統的な日本建築では、空間を仕切るためによく使われる。
光を通しながらプライバシーを守ることができる。
法隆寺聖霊院に見られる御簾は、寺院内の空間を仕切るために使われている。
この御簾は外からは不透明だが、中にいる人からは外が見えるようになっており、開放感がある。
折りたたみ障子
障子のもうひとつの種類に「几帳(きちょう)」がある。
複数の布を縫い合わせて作る。
持ち運びや設置が簡単なので、一時的な間仕切りに適している。
夏は「生絹(すずし)」と呼ばれる軽めの絹織物、冬は「練絹(ねりぎぬ)」と呼ばれる重めの絹織物が使われる。
壁パネル
「壁代(かべしろ)」は木枠に紙や布を貼った障子の一種。
空間を仕切り、プライバシーを守るために使われる。
壁に取り付けられた横梁である「内法長押(うちのりなげし)」の内側に取り付けられる。
壁代(かべしろ)は絹織物でできており、「朽木文様」のような伝統的な文様をあしらったものが多い。
柔らかい障子とカーテン
「軟障(ぜじょう)」は屏風に似た障子の一種。
木製の枠に布製の幕が取り付けられている。
生地は絹や木綿が一般的で、さまざまな柄が施される。
「幔(まん)」は間仕切りとして、あるいは特定の場所を遮るために使われる。
日本の伝統的な茶室やフォーマルな部屋でよく見られる。
パネル式障子
「御簾(みす)」「几帳(きちょう)」「壁代(かべしろ)」も障子の一種だが、一般に「障子」といえば、木枠に紙や布を張ったパネルを指し、室内の間仕切りパネルとして使われる。
木枠には杉や檜(ひのき)など様々な種類の木材が使われ、表装には和紙が使われるのが一般的だ。
和紙や和布は拡散した光を通し、温かみのある優しい雰囲気を演出する。
近代建築における障子の進化
現代の日本建築では、障子は現代的なデザインの好みや機能的な要求に合わせて進化してきた。
伝統的な障子の形は今でも広く使われているが、現代的なバリエーションも登場している。
フレームはアルミなどの軽量素材が使われ、和紙のような合成素材が使われることもある。
さらに、現代の障子には、装飾的な模様や曇りガラスの挿入など、さまざまなデザイン要素が取り入れられていることが多い。
こうした工夫によって、インテリアデザインの自由度が増し、さまざまな美的嗜好に対応できるようになった。
障子はもはや伝統的な和風建築に限定されるものではなく、モダンな住宅やオフィス、公共スペースでも見かけることができる。
結論
障子は日本建築の真髄であり、その美しさ、機能性、静謐で調和のとれた住空間を作り出す能力で知られている。
初期の単純な障壁としての起源から現代のバリエーションに至るまで、障子は日本社会の変化するニーズや好みに合わせて進化してきた。
伝統的な襖や間仕切りであれ、現代的なアレンジであれ、障子は日本建築において重要な役割を果たし続け、伝統的なデザインのエッセンスを守りつつ、革新性を取り入れている。
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