今回は、元ヤクザのAさんにインタビューを行いました。
Aさんは、13年以上にわたって暴力団の一員として活動していました。
ヤクザとしての生活や脱退の経緯、社会復帰への思いなどについてお話しいただきました。
以下がその質問内容です。
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ヤクザに入ったきっかけは何ですか?
地元の先輩にヤクザがいて、組長を紹介されそのまま若い衆になりました。
ヤクザの生活はどのようなものでしたか?
ヤクザの生活は組織内での厳格な規律が中心でしたね。
月に2度の本部当番や月に2~3度の事務所当番、それに義理事に参加しなきゃいけなかったです。
本部当番は特にハードな仕事で、幹部の応対や電話対応はとても厳しかったですね。
幹部の湯飲みがそれぞれ決まってたんで、そういうのを気をつけないとダメでしたよ。
他の当番は組織の親分によってルールが違うこともあったと思います。
面子が関わる仕事は常にハードでしたね。
特に本部の上の方に行けば行くほど、マナーや規律は厳しかったです。
自分のシノギ(仕事)については、組から文句を言われることはなかったけど、兄貴分を持っているメンバーには厳しい期待があったかもしれないです。
自分は兄貴分を持っていなかったから、その辺りは分からないです。
義理事も忘れてはいけませんでした。
お葬式や放免祝いなど、特に組織のために戦った人を祝うのは重要でしたね。
抗争事件に参加したメンバーには特に大きな祝いがありました。
友好団体とのつながりも大切で、都内の友好団体の行事には積極的に参加してました。
ヤクザから抜けた理由は何ですか?
約13年間いましたが、だんだんシノギが厳しくなり、ヤクザとして恥ずかしいシノギをしても平然としている組織に嫌気がさして辞めました。
ヤクザとして恥ずかしいオレオレ詐欺とか覚せい剤、窃盗とかが嫌で自分は辞めました。
特にオレオレ詐欺は自分は無理でした。
じいさんばあさんを騙して、それで生きていくのが果たして漢なのか?て疑問がありました。
抜けた後の生活にはどのような困難がありましたか?
やはり元暴5年のしばりが厳しかったです。
「元暴5年条項」とは、暴力団組織から離脱しても、概ね5年間は「暴力団関係者」とみなされる条項です。この期間中は、「現役組員」と同様に、銀行口座を開設できない、自分の名義での各契約ができない、就職の際の履歴書が虚偽記載になりやすいなどの制限があります。この条項は、社会復帰を目指す元暴力団員にとって、大きなハードルとなっています。{alertInfo}
特に、元ヤクザとしての経歴にまつわる制約が厳しいものでしたね。
まず、銀行口座の開設ができませんでした。
それによって、給与の振り込みなどの一般的な銀行取引を行えないですよね。
銀行に行ったとしても、暴力団との関係がないことを証明する証明書を提出しない限り、銀行員が警察に問い合わせをして、暴力団の名簿から自分の名前を探し出す可能性があります。
その結果、詐欺罪で逮捕される危険性があるんですよ。
ホテル宿泊やゴルフ場利用さえも、暴力団との関係がないことを証明する証明書が必要で、詐欺罪で逮捕されるリスクがありました。
そのため、自営業者に転身するか、ホームレスになるか、または幸運にも友人や知り合いの手伝いで働く道を選ぶしかないんです。
まぁ、結局は犯罪に戻る人も多いですね。
ヤクザという組織に対する現在の考えは何ですか?
ヤクザとしての経験から、今のヤクザについての考えが以前とは大きく異なっていると言えますね。
今は、薬物やオレオレ詐欺などが主要な収入源となってて、ヤクザとしてどうかなと思ってます。
親分とか兄貴分とかに付いてきたいって人がほとんどなんで、そもそも自分も組織に対してという考えがないです。
例えば、他の親分から煙草を買ってくるよう頼まれても、自分はその親分の指導下にはいないため、一度断ったことがあります。
けど、今のヤクザの中には、そういう奴はいないんじゃないかな?と自分なんかは思います。
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