陰陽道とは、中国の陰陽五行説を基にした日本独自の占術や呪術の体系である。
古代から平安時代にかけて、朝廷や貴族の間で重要な役割を果たした。
陰陽師と呼ばれる専門家たちは、天文・暦学・方位・気象・疫病などの占いや、祈祷・祓い・呪いなどの儀式を行った。
また、妖怪や霊魂といった超常的な存在とも交流したとされる。
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陰陽道の起源と発展
陰陽道は、中国から伝来した陰陽五行説を日本の風土や神話に合わせて独自に発展させたものである。
最初に陰陽師と呼ばれたのは、7世紀後半に天武天皇に仕えた安倍晋が娘の安倍小野娘と共に占いを行ったことが記録されている人物である。
その後、平安時代に入ると、安倍氏や賀茂氏などの氏族が朝廷や貴族の依頼に応じて様々な占術や呪術を行った。
特に有名なのは、10世紀後半から11世紀前半にかけて活躍した安倍晴明である。
彼は天皇や摂関家から重用され、多くの伝説や逸話が残されている。
陰陽道の教えと実践
陰陽道では、万物は陰と陽の二つの気によって成り立ち、五行(木・火・土・金・水)という五つの属性に分類されると考えられた。
また、方位や季節や時間などもそれぞれ陰陽五行に対応しており、それらの間には相生相剋(おうせいおうこく)という関係があるとされた。
すなわち、五行は互いに生み出したり制したりする関係にあり、それによって自然界や人間社会の変化が起こると考えられた。
例えば、木は火を生み出し、火は土を生み出すが、木は土に制され、火は水に制されるという具合である。
陰陽師たちは、このような理論をもとにして様々な占術や呪術を行った。
占術では、暦法・天文法・地相法・相法・易占法などが用いられた。
これらは未来を予測したり現在を診断したりするものであった。
呪術では、祈祷法・祓法・符法・厭法などが用いられた。
これらは神仏や霊魂に対して願い事をしたり悪い影響を除去したりするものであった。
陰陽道の影響と衰退
陰陽道は平安時代を通じて日本社会に大きな影響を与えた。
建築や都市計画では方位や気の流れを重視し、京都や平安宮などは陰陽道の理念に基づいて造られた。
文学や芸能では妖怪や霊魂といった陰陽道の世界観が反映され、『源氏物語』や『今昔物語集』などに多くのエピソードが登場する。
また、神道や仏教とも深く関わり、神仏習合や密教などに陰陽道の要素が取り入れられた。
しかし、鎌倉時代以降、陰陽道は次第に衰退していった。
武士の台頭や幕府の成立によって朝廷の権威が低下し、陰陽師の地位も下がった。
また、中国から新しい暦法や占術が伝来し、陰陽道の旧来の教えが見直された。
さらに、仏教や神道など他の宗教との競争も激しくなり、陰陽道は独自性を失っていった。
江戸時代には、陰陽道は朝廷の儀式や風習として残るだけであり、一般にはほとんど知られなくなった。
まとめ
陰陽道は日本古来の占術や呪術の体系であり、平安時代に隆盛を極めた。
しかし、時代が変わるにつれて衰退し、現在ではほとんど忘れられた存在となっている。
しかし、その教えや実践は日本文化に多大な影響を与えており、今でもその名残を見ることができる。
陰陽道は日本史上における隠れた名所と言えるだろう。
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