多くの人々に愛され、映画化や漫画化などのメディアミックスも多い『人間失格』。
作者である太宰治の代表作と言えばこの作品で、日本人であれば一度は耳にしたことがある作品ではないでしょうか。
ここでは、そんな小説『人間失格』のあらすじをざっくり、分かりやすくご紹介していきます。
『人間失格』あらすじ
小説『人間失格』の話の流れは
はしがき→第一の手記→第二の手記→第三の手記→あとがき
となっています。
最初のはしがきから、それぞれ見ていきましょう。
はしがき
小説『人間失格』で一番最初に登場する人物は「私」という人物です。
この「私」という人物は所謂『人間失格』の主人公ではありません。
『人間失格』の主人公は大庭葉蔵という人物なのですが、この大庭葉蔵が登場するのは第一の手記・第二の手記・第三の手記のみです。
実は『人間失格』という小説はこの「私」という人物が大庭葉蔵の書いた手記を読んでいるという設定なのです。
『人間失格』で展開されるメディアミックス(映画や漫画)はこのはしがき部分は描かれず、カットされてしまうことが多いです。
こういう書き方は夏目漱石の『こころ』に近いかもしれません。
『こころ』も「私」という登場人物が「先生」という人物が書いた遺書を読んでいるというスタイルを後半にとっています。
『人間失格』における「私」は『こころ』の「私」ほどしっかりとキャラ付けがされているわけではありませんが、極めて重要な登場人物です。
はしがきでの「私」は三枚の写真を眺めています。
この三枚の写真に写っている男性が主人公の大庭葉蔵です。
写真はそれぞれ
- 大庭葉蔵の幼少期(第一の手記)
- 大庭葉蔵の学生期(第二の手記)
- 大庭葉蔵の成人期(第三の手記)
に対応しています。
「私」は写真をそれぞれ眺めて、
なんてこの子どもは醜く笑っているんだ
と幼少期の写真については思い、学生期の写真は
綺麗な顔してるけど、なんか作り物みたいな笑顔だな
と気持ちが悪くなり、成人期の写真に至っては
この人物には表情がない。というか印象がない。私はこの写真の人物の顔が覚えられない
という感想を抱きます。
そして大庭葉蔵の手記へと続いていくのです。
第一の手記
第一の手記では主人公である大庭葉蔵の幼少期を描いています。
葉蔵、道化をする
東北の田舎で生まれた大庭葉蔵は所謂金持ちの家の子でした。
父親は政治家で、家にはお手伝いさんがたくさんいて、小学校へは人力車で通っている小学生、それが大庭葉蔵なのです。
そんな金持ちの家に産まれた葉蔵ですが、自分のことを幸せとは思えませんでした。
なぜなら、葉蔵は家族を含めた人間そのものを極度に恐れていたからです。
特に怒っている人を見るのが恐ろしいようで、次の一文が葉蔵の想いを端的に表しています。
それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持ちがするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子(しし)よりも鰐(わに)よりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。
このように人間を極度に恐れた葉蔵が見出した唯一の処世術。
それが道化でした。
葉蔵は全ての人の前で道化を演じ、結果一言も本当のことを言わない子どもになっていたのです。
葉蔵は幼少時代に家の使用人たちから性的虐待を受けていましたが、それを親に言うことも出来ず、ただ家でも学校でも道化を演じ続けるという生活を送りました。
第二の手記
第二の手記は葉蔵の学生時代を描いています。
葉蔵と竹一との出会い
中学生になった葉蔵は親戚の家から学校に通うことになります。
小学校と同様に中学校でも葉蔵は道化を演じていたのですが、人生で初めて葉蔵の道化を見破る人物が現れたのです。
それが竹一というクラスでも最も貧弱な生徒でした。
ある日の体操の時間、葉蔵は鉄棒でわざと失敗し、大きく尻もちをつきました。
クラスメイトは大笑いした葉蔵の道化でしたが、竹一だけはそっと葉蔵の背後に近寄り、
ワザ。ワザ。
と葉蔵のワザと失敗したことを見破ったのです。
葉蔵はそんな自分の道化を見破った竹一をなんとか手なずけるため、自分の親戚の家に来るように誘い、ありったけの優しさを見せたのです。
竹一は葉蔵のもてなしを受けて、
お前は、きっと、女に惚れられるよ
という予言を残しました。
また、後日竹一は葉蔵の部屋に遊びに来た時に一枚の口絵を持ってきました。
お化けの絵だよ
と言って竹一が見せたのはゴッホの自画像です。
葉蔵はそれまでに様々な絵画を見ていましたが、それらをお化けの絵だとは考えたことが無く、竹一から新たな絵画の見え方を教わったのです。
これもお化けの絵だろうか?
と葉蔵はモジリアニの画集の中にある裸婦の絵を竹一に見せました。
すげえなあ、地獄の馬みたいだ。おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ
と竹一が言いました。
その時、葉蔵は涙が出るほどに興奮しました。
その理由が
ああ、この一群の画家たちは、人間と言う化け物に傷(いた)めつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる
と思ったからです。
僕もお化けの絵を描くよ
と葉蔵は竹一に言いました。
それから葉蔵は自画像を描き始めました。
すると、葉蔵自身ですらおそろしく思う陰惨な絵が出来上がったのです。
葉蔵の自画像を竹一に見せると、竹一は大変その絵を褒めて、その後も二枚三枚と葉蔵が描いたお化けの絵を竹一に見せ続けると
お前は、偉い絵描きになる
という予言をもらいます。
こうして葉蔵は竹一の「女に惚れられる」と「偉い絵描きになる」という予言を携えて、東京の高校へと進学したのでした。
葉蔵と堀木の出会い
葉蔵は東京の高校へと進学しましたが、高校生活に馴染めませんでした。
高校をサボりがちになった葉蔵はひっそりと画塾に通うことになりました。
その画塾で出会ったのが堀木正雄です。
堀木は葉蔵より六歳も年上の東京の下町生まれで、私立の美術学校を卒業しているものの、家にアトリエが無いので、画塾に通いながら絵の勉強をしているという男でした。
この堀木こそ葉蔵にとっての東京で出来た悪友なのです。
五円、貸してくれないか
これが堀木からかけられた初対面での会話です。
堀木は葉蔵から五円を受け取ると、葉蔵を連れてカフェへと向かいました。
当時のカフェは今のスタバのように純粋にコーヒーを飲む場所ではなく、どちらかというとホステスに近い存在だったようです。
葉蔵は内心
なんて馬鹿な男なんだ。どうせ絵も下手なんだろうな
と思いつつも、東京案内をさせるにはいいかもしれないと思いました。
というのも、お金は持っていても葉蔵にとって、東京は大都会でまだまだ未知な街だったからです。
堀木に財布さえ渡しておけば、堀木は葉蔵に淫売婦、屋台に酒など様々なことを教えてくれます。
堀木は葉蔵を金づるとして利用し、葉蔵は堀木を東京の案内人としてお互いに利用していたのです。
そして、堀木は葉蔵を共産主義の読書会にも連れて行きました。
葉蔵はその会合で感じた「非合法」の雰囲気が楽しく、そのグループに入り浸るようになります。
しかし、そんな葉蔵に転機が訪れるのです。
葉蔵、死を決意する
父親の別荘で東京生活をしていた葉蔵でしたが、父親が政治家を引退することをきっかけに下宿で一人暮らしをすることになってしまったのです。
すると、葉蔵は途端にお金に困るようになってしまいました。
というのも、父親の別荘に住んでいた時は、その別荘には煙草もお酒もチーズも果物もいつでもありましたし、父親の贔屓にしているお店であれば「ツケ」であらゆるものが手に入ったからです。
そんなぬるま湯東京生活をしていた葉蔵が、月々の仕送りで生活をしていかなくてはならなくなったのです。
仕送りは二、三日でなくなってしまい、葉蔵は質屋に通ったり、
もっと仕送りを送って欲しい
という電報を実家に送るという生活になりました。
また、共産主義の運動がいよいよ忙しくなってきていることも、葉蔵の悩みでした。
- お金がないこと
- 共産主義の運動
- 学業
- 世の中への恐怖
これらのことを考え、葉蔵は一人の女性と共に心中することを決めました。
その女性がツネ子です。
ツネ子は銀座のカフェで働いている女給で、葉蔵より二つ年上の広島出身の女性でした。
また、ツネ子の旦那は詐欺罪で刑務所にいるという状態でした。
なので、ツネ子は所謂人妻でした。
しかし、ツネ子と肉体関係を持った葉蔵はツネ子の持つ「侘しい」雰囲気に惹かれていきます。
一夜限りの関係でしたが、葉蔵は幸福を感じました。
けれど、その幸福であるという状態を恐れた葉蔵はツネ子からも一時離れます。
しかしある日、堀木とお酒を飲み酔っぱらった葉蔵は
カフェに行こう
と堀木をツネ子が働いているカフェに誘いました。
お金がない葉蔵はツネ子なら自分の代わりにお金を出してくれるだろうと思ったからでした。
カフェに行けると知った堀木は、
俺は今夜は女に飢えているんだ。俺の隣に座った女給にキスして見せる!
と息巻いていました。
カフェに到着した二人をツネ子は出迎え、ツネ子は堀木の隣に座ったのです。
ツネ子が堀木にキスされる…!
と葉蔵は思いましたが、
まぁでも、これでツネ子と自分の関係も終わるな
と素直に諦めました。
しかし、
やめた!
と突然堀木が言いました。
さすがのおれも、こんな貧乏くさい女には…
と堀木はツネ子をじろじろと眺め、苦笑したのです。
結局、堀木はツネ子にキスをしませんでした。
この堀木の言葉に葉蔵はとてつもないショックを受けました。
堀木の目から見ると、ツネ子は酔っぱらった勢いでキスするにも値しない、ただのみすぼらしい、貧乏くさい女だったのです。
葉蔵はそれから浴びるほどお酒を飲みました。
人生で初めて我を失うほどお酒を飲んだのが、この時でした。
そして目が覚めると、葉蔵はツネ子の家にいました。
ツネ子は明け方、初めて「死」という言葉を口にし、葉蔵はツネ子のその提案に同意したのです。
その後、葉蔵とツネ子は一緒に鎌倉の海に飛び込み、入水自殺を図りました。
結果、葉蔵は生き残り、ツネ子は死にました。
葉蔵は海辺の病院に収容されました。
そして、親戚の一人が病院にやって来て、
故郷の家は大激怒していて、これっきり絶縁になるかもしれない
と葉蔵に伝えたのです。
けれど、葉蔵はそんなことより死んだツネ子が恋しくて、めそめそ泣いてばかりいました。
やがて、葉蔵は自殺幇助(ほうじょ)罪という罪名で、病院から警察へと連れて行かれました。
そして、葉蔵は自身の身元引受人に渋田を呼びました。
渋田は葉蔵の父親のたいこ持ちのような存在の書画骨董商の男で、顔がヒラメに似ていることから、葉蔵の父も葉蔵もヒラメと呼んでいる四十男です。
ヒラメは人が変わったように威張った口調でしたが、それでも葉蔵の身元引受人になってくれました。
こうして起訴猶予になった葉蔵はヒラメに引き取られていったのです。
第三の手記
第三の手記は入水自殺以降の退廃していく葉蔵の人生が描かれています。
葉蔵の将来
鎌倉での入水事件があってから、葉蔵は高校を辞めさせられ、ヒラメの家の二階に居候する形になりました。
実家から毎月少額のお金がヒラメには渡っているようですが、ヒラメは葉蔵の外出を禁じました。
葉蔵は何もする気力もなく、ただ一日一日を三畳の部屋のこたつにもぐりながら過ごしました。
ある日、葉蔵はヒラメと将来について話すことになりました。
これから一体どうするつもりなんですか?
ヒラメが葉蔵に聞きますが、葉蔵に人生の目標などなく、ただただ「自由」が欲しいと思うだけでした。
あなたは起訴猶予になりましたが、あなたの心がけ一つで更生が出来るわけです。あなたがもし、改心して真面目に私に相談を持ち掛けてくれたら、私も考えてみます
葉蔵にはヒラメの言葉の意図が全く分かりませんでした。
ずっと後になってから分かったことですが、ヒラメの本心は
公立でも私立でもいいから、とにかく四月から学校に入りなさい。あなたが学校に入るなら、あなたの実家が生活費をもっと送ることになっています
ということでした。
まぁもちろん、真面目に私に相談してくれる気持ちがなければ、仕方がありませんが…
どんな相談ですか?
それは、あなたの胸の中にある事でしょう?
たとえば?
たとえばって、あなた自身はこれからどうする気なんですか?
働いた方がいいんですか?
いや、だから、あなたの気持ちはどうなんですか?
だって、学校に入ると言ったって…
そりゃ、お金がいります。けれど、問題はお金じゃなくて、あなたの気持ちでしょう
このヒラメの言葉によって、葉蔵はますます訳が分からなくなりました。
例えば、あなたが将来についてまじめに相談を持ちかけてくれたら、私もその相談には応じるつもりでいます。しかしこんな貧乏なヒラメの援助なのですから、以前のようなぜいたくは出来ません。けれどあなたの更生のために、私はお手伝いしようとさえ思っているのです。私の気持ちが分かりますか?それで、あなたは結局将来どうしたいのです?
ここの家に置いてもらえないなら、働いて…
本気でそんなことを言っているのですか?今のこの世の中、大卒だって…
いいえ、サラリーマンになるつもりは無いんです
それじゃ、何になるんです?
画家です
葉蔵の言葉にヒラメは軽蔑の笑みを浮かべました。
そんな事ではお話になりません。今晩一晩まじめに考えなさい
と結局ヒラメにそう言われてしまいました。
そうして、葉蔵は明け方になるとヒラメの家から逃げ出したのです。
葉蔵とシヅ子の出会い
ヒラメの家から逃げ出した葉蔵が向かったのは堀木の家でした。
堀木は訪問してきた葉蔵に冷たい態度をとりました。
お前には全く呆れた。親父さんからの許しは出たのか?
葉蔵はまさか逃げて来たとは言えませんでした。
それは、どうにかなるさ
おい、笑い事じゃないぜ。忠告するけど、バカもこの辺で辞めるんだな。俺は今日、用事があるんだ。失敬するぜ、悪いけど
その時、堀木に女性の訪問者が現れました。
この女性の前では堀木の態度ががらりと変わりました。
や、すいません。今、あなたの方へお伺いしようと思っていたのです
その女性は雑誌社の人のようで、堀木に頼んでいたカットを受け取りにやってきたようでした。
これが葉蔵とその女性、シヅ子の出会いでした。
結果、葉蔵は堀木の家から追い出されると、シヅ子の家に転がり込み、簡単に言うとヒモのような生活をすることになったのです。
シヅ子にはシゲ子という五歳になる娘がいました。
シヅ子が昼間に働きに出ている間、葉蔵は五歳児のシゲ子と共に遊びながらお留守番をする生活を一週間ほど続けました。
お金が欲しいな…。自分で稼いだお金で煙草を買いたい。絵だって、僕の方が堀木よりよっぽど上手いはずなんだ
葉蔵の心には学生時代に竹一が褒めてくれた「お化けの絵」がありました。
葉蔵は自分の画才を信じていたのです。
あなたは真面目な顔をして冗談を言うから可愛いわね
葉蔵はこのシヅ子にもいつか自分が描いた「お化けの絵」を見せて、自分の画才を証明したいとも思いました。
漫画さ。少なくとも、漫画なら堀木よりは上手いはずだ
この葉蔵から出た誤魔化しの道化の言葉はかえって現実になりました。
そうよね、私も実はそれは思っていたの。シゲ子にいつも描いてやっている漫画、私も笑ってしまうもの。私が編集長に頼んでみるから、描いてみたら?
こうして葉蔵はシヅ子の雑誌社にあった子ども向け雑誌の漫画家としてお金を稼ぐことになったのです。
そして、シヅ子のとりはからいで、ヒラメや堀木にも連絡をつけ、葉蔵は晴れてシヅ子と同棲するという形になったのです。
しかし、葉蔵は生活の全てをシヅ子に頼ってしまっているという心苦しさからシヅ子に対しておどおどするようになりました。
そんな葉蔵にとっての小さな救いは五歳児のシゲ子でした。
シゲ子は葉蔵のことを、何もこだわらずに「お父ちゃん」と呼んでくれていたのです。
お父ちゃん。お祈りをすると、神様が、何でもくださるって本当?
本当だよ。シゲちゃんは、いったい、神様に何をおねだりしたいの?
シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの
この言葉を聞いて以来、葉蔵はシゲ子にもおどおどするようになってしまったのです。
葉蔵、シヅ子親子を去る
堀木はたびたび葉蔵の元へと尋ねてくるようになりました。
しかし、お前の女遊びもこの辺で止めるんだな。これ以上は世間が許さないからな
世間というのは、君じゃないか
葉蔵はこの堀木との会話のおかげで、葉蔵は世間=個人という思想を持ち、以前より大胆に生活するようになりました。
酒のために漫画を描き、いつも飲み歩くような生活をしだしたのです。
一年ほどバアで酒を飲み続けるという生活を続け、遂には酒のためにシヅ子の着物などを質に入れるようにまでなっていきました。
ある日の酒飲みの帰り、アパートでシヅ子とシゲ子が白うさぎを飼い始め、笑い声をあげながらうさぎを追いかけていました。
あぁ、幸福なんだ。この親子は。自分みたいな馬鹿者がこの二人の幸福を滅茶苦茶にして言い訳が無いんだ
と思った葉蔵はそれ以降、シヅ子のアパートへは戻りませんでした。
葉蔵とヨシ子の出会い
葉蔵はシヅ子のアパートの代わりに、行きつけのバアのマダムのところへ行き、また新たなヒモ生活を始めました。
葉蔵は毎晩バアに顔を出し、バアのお客とお酒を飲みながらくだらない事を言うという生活を一年続けました。
その間に葉蔵の漫画は子ども向け雑誌だけでなく、卑猥な成人向け雑誌にも載るようになりました。
葉蔵の生活が堕落していくなか、
毎日お昼からお酒を飲むのはいけないわ
と葉蔵にお酒を止めるように言う一人の少女がいました。
それが後に葉蔵が結婚することになるヨシ子でした。
ヨシ子は葉蔵が身を寄せていたバアの向かいにある小さい煙草屋にいる処女の十七、十八の娘でした。
葉蔵はよくヨシ子の煙草屋で煙草を買っていたのです。
ある日、葉蔵は酔って煙草を買いに行くと、マンホールに落ちてしまったという事件がありました。
飲み過ぎですよ
いつもは笑って忠告してくれるヨシ子が今回だけは笑わずに言いました。
ヨシ子から傷の手当てを受けていた葉蔵は
やめる。明日から一滴も飲まない
と言いました。
本当?
きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれる?
もちろんよ
ようし、指切りをしよう。きっとやめるぞ
そして、次の日。
葉蔵はやはり昼からお酒を飲みました。
夕方、酔っぱらいながらヨシ子の煙草屋の前に立ち、
ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった
あら、いやだわ。酔ったフリなんかしちゃって
ヨシ子の言葉に葉蔵はハッとし、酔いもさめるような気持ちになりました。
いや、本当なんだ。酔ったフリなんかじゃないよ
お芝居が上手なのね
ヨシ子は全く葉蔵を疑おうとはしませんでした。
芝居じゃないよ。馬鹿野郎、キスしてやるぞ
してよ
いや、僕には資格がない。ヨシちゃんをお嫁にもらうのも諦めなくちゃいけない。顔を見てごらん。赤いだろう?飲んだんだよ
それは夕陽が当たっているからよ。誤魔化そうとしたって駄目よ。あなたが飲むはずないわ。昨日約束したんだもの。指切りしたんですもの。飲んだなんて、嘘よ、嘘
葉蔵はヨシ子の汚れなさに心打たれました。
今まで処女と付き合ったことがない葉蔵にとって、ヨシ子という存在を通して処女性の美しさを知りました。
そして葉蔵はヨシ子と結婚することを決めたのでした。
ヨシ子、汚される
ヨシ子と結婚した葉蔵は木造アパートの下の階の部屋を借りて、そこでヨシ子と二人で暮らし始めました。
葉蔵はお酒を止め、仕事である漫画に精をだし、夕食後はヨシ子と二人で映画を観に出かけたりして、人間らしい人生を再び送り始めました。
そしてそんな葉蔵の前に堀木はたびたび姿を現すようになっていきました。
ある夏の暑い日、葉蔵と堀木はアパートの屋上で二人でお酒を飲みながらゲームをしていました。
なんだか腹が減ったなぁ。何か食べるのもはないか?
堀木が葉蔵に言いました。
君が持ってきたらいいじゃないか
葉蔵がそう言うと、堀木はアパートの下の階に食べ物を取りに降りて行きました。
すると、
おい!急いで来い!
と声色が変わった堀木に促され、葉蔵が自分の部屋へと戻ると、そこには犯されているヨシ子がいたのです。
相手の男は葉蔵に漫画を描かせて、わずかなお金を置いていく三十前後の男でした。
葉蔵はヨシ子を助けることも忘れて、ただ立ちつくしていました。
この事件以降、ヨシ子は葉蔵の顔色ばかり伺う、おどおどとした態度をとるようになりました。
葉蔵はヨシ子の純粋無垢の信頼心こそが美徳と思って結婚したのですが、それが一瞬にして壊されてしまったのです。
それから、葉蔵はまたもお酒漬けの生活へと戻ってしまいました。
その頃には漫画も春画のコピーを密売するほどになりました。
ヨシ子は生活が退廃していく葉蔵を見ても、何も言えずただ視線をはずしておろおろしているだけでした。
そんなある日、砂糖水が飲みたくなった葉蔵は、台所で砂糖壺を探していると、ジアールという催眠剤の箱を発見しました。
致死量以上の催眠剤をヨシ子は隠していたのです。
葉蔵はその催眠剤を全て飲み干しました。
葉蔵、薬に手を出す
葉蔵は幸いにも死ぬまでには至りませんでした。
しかし、この一件により、ヨシ子はますます葉蔵に対しておろおろし、笑わず、そしてもはや葉蔵と口がきけないようになっていきました。
葉蔵も思い切って一人旅などをしてみましたが、結局お酒を浴びるほど飲んで帰ってくるだけでした。
そして大雪の降った日、酔っぱらった葉蔵は血を吐きました。
血を吐いたことで不安になった葉蔵は薬屋へ行くことにしました。
そこには松葉杖をついた奥さんがいました。
お酒を止めなくてはいけません
奥さんが言いました。
アル中になっているかもしれません。今でも飲みたいんです
いけません。私の主人もお酒で寿命を縮めました
不安になってしまうんです。怖くて、とてもダメなんです
お薬を差し上げます。お酒だけは、およしなさい
そして薬屋の奥さんは造血剤やビタミン剤、そして胃薬など実に五、六種類の薬品と注射器を葉蔵にくれました。
これはどうしても、なんとしてもお酒を飲みたくて、たまらなくなった時のお薬です
と奥さんが言って、素早く神に包んだ小箱にはモルヒネの注射液がありました。
そして、その後葉蔵は何の躊躇もなくモルヒネを自らの腕に注射しました。
すると、全ての不安や焦燥も無くなり、漫画の仕事に精が出ました。
一日一本だったのが、気が付けば一日四本になった頃には、葉蔵にとってモルヒネは無くてはならないものになっていました。
いけませんよ、中毒になったら大変です
たのむ!もう一箱。勘定は月末にきっと払いますから
勘定はいつでもかまいませんけど、警察の方がうるさいのでね
そこを何とかごまかして。たのむよ、奥さん。僕はあの薬を使うようになってから、お酒は一滴も飲まなかった。おかげで、身体の調子がいいんだ。これから、勉強してきっと偉い絵描きになってみせる。今が大事なところなんだ。だからさ、ね、おねがい。キスしてあげようか
葉蔵の言葉に奥さんは笑いました。
困るわねぇ。中毒になっても知りませんよ
そう言って奥さんは葉蔵にモルヒネを差し出すのです。
結局、葉蔵は薬の中毒患者となり、薬のために再び春画のコピーを売り、薬屋の奥さんとも肉体関係を結ぶまでになりました。
しかし、いくら仕事をしても薬の量が増えるので、薬代の借りがおそろしいほどの額になり、奥さんは葉蔵の顔を見ると涙を浮かべ、葉蔵もまた泣いてしまうのでした。
人間、失格
葉蔵はこの地獄から逃れるための最後の手段として、故郷の父あてに手紙を書きました。
これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだと覚悟していたのですが、結果は何の返事もなく、今夜一気に十本注射して自殺しようと思った日の午後、ヒラメと堀木が葉蔵を訪ねて来たのです。
お前、血を吐いたんだってな
堀木の見たこともないほどの優しい笑顔に、葉蔵は完全に打ち破られ、涙を流しました。
そして、そのまま葉蔵は自動車に乗せられ、病院に入院させられました。
葉蔵はサナトリウム(結核等で長期入院する人のための病院)に入院するのだと思っていましたが、連れられたのは脳病院でした。
こうして、葉蔵は狂人、廃人というレッテルをつけられ、自分は人間失格だと思うようになりました。
脳病院に入院してから三か月後、故郷の長男がやって来ました。
父さんが先月胃潰瘍で死んだ。もう、自分たちはお前の過去は問わない。生活の心配も何もしなくていい。ただとにかく東京から離れて、田舎で療養生活を始めてくれ。お前が東京でした事の後始末は気にしなくていい
と言われました。
葉蔵はただ頷きました。
こうして葉蔵は東京を離れ、東北へと戻りました。
しかし実家ではなく、実家から汽車で四、五時間かかる村はずれの古い家と六十近い赤毛の女中が与えられました。
そして葉蔵はそこで三年と少し暮らしました。
その間にその六十近い女中に数度犯され、時たま夫婦喧嘩みたいなことをしながら、病気も良くなったり悪くなったりを繰り返しています。
二十七歳になった葉蔵は大抵の人から四十以上に見られるほどに白髪が増えています。
あとがき
あとがきには、はしがきに登場した「私」が再び登場します。
「私」は葉蔵がヒモとして転がり込んでいたバアのマダムのお客だったのです。
久しぶりに出会ったマダムに
あなたは葉ちゃんを知っていたかしら?
と聞かれた「私」は
知らない
と答えました。
するとマダムは
何か、小説の材料になるかもしれません
と言って、三冊のノートと三枚の写真を渡しました。
人からもらった材料で書くのはなぁ…
と「私」は思いつつも、はしがきで登場した三枚の写真に心が惹かれ、ノートを預かることにしました。
そしてその晩、ノートを読み始めた「私」は朝まで一睡もせずにノートを読みふけりました。
そして「私」はこう思いました。
このノートに書かれていることは昔の話だけれど、現代の人が読んでもかなりの興味を持つに違いない。下手に私の手を加えるよりも、この文章をそのままどこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、いいだろう
「私」は再びマダムの元へ向かい
このノートをしばらく貸していただけませんか?
ええ、どうぞ
この人は、まだ生きているのですか?
さあ、それがさっぱりわからないんです。十年ほど前にお店あてに、このノートと写真の小包が送られてきたんです。でも、差出人も住所も書いてなかったんです。私はこのあいだ初めて全部読んでみたんですけど…
泣きましたか?
いいえ、泣くというより、…だめね、人間も、ああなってしまっては、もうダメね
十年前に届いたということは、もう亡くなっているかもしれないね。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、もしこれが全部事実だったら、僕もやっぱりこの人の友人のように脳病院に連れて行きたくなったかもしれない
あのひとのお父さんが悪いのですよ
マダムは何気なさそうに、そう言いました。
私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、神様みたいないい子でした
『人間失格』のあらすじをざっとご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
個人的に『人間失格』の最大の魅力は太宰治が紡ぐ人間の本質を突いた文章にあると思っています。
『人間失格』にある名言に興味がある方はこちらの記事もご覧ください。
『人間失格』の心に響く名言35選を簡単にまとめてみた!
日本文学の傑作『人間失格』!名作の中から名言をご紹介します!人間関係や幸福などカテゴリーごとに分けてご紹介していますので、興味のある部分だけ読むことも出来ます。あなたの人生を変える一文に出会うことが出来るかも!
夏目漱石の『こころ』や芥川龍之介の『羅生門』など他の日本文学についての記事もご参考下さい。
もし、「人間失格」自身にも興味を持たれましたら、どうぞ本文も読んでみて下さい。
Kindle 版だと無料で読むことが出来ますよ!
小説はちょっと…という方は分かりやすい漫画も出版されていますので、よろしければ漫画からでも読んでいただけたらと思います。
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